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第107回 北欧モデルを今こそ!(イギリス)

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「セックスを買う行為は男性をさらに暴力的にする」「売買春は女性をモノ化する」。 買春処罰を求める英国の運動体「北欧モデルを今こそ!」*は、こんなスローガンを掲げたポスターを作った。 北欧モデルとは「セックスを買う行為を犯罪とする一方で、買われる側の人々(多くは女)の罪を問わず、そこから抜け出すための支援をする」という法律だ。スウェーデン(1999)、ノルウェー(2009)、アイスランド(2010)、カナダ(2014)、北アイルランド(2015)、フランス(2016)、アイルランド共和国(2017)、イスラエル(2019)が施行した。EUも立法を促す議決をした(2014)。 私の知るノルウェーでは「買春処罰」はウン十年間も議論が続けられてきた。女性2人ペアになった命がけのアクションが忘れられない。1人が客と買春交渉をしている時、もう1人が客の車体に型抜きスプレーで「買春しようとした男」と書いて撮影。新聞社は写真をデカデカと掲載し「オスロは安心して買春できる町ではない」とコメントをつけた。そのあと女性議員が超党派で買春処罰法案を出した(否決)。 80 年代のことだった。 2000年代、ナイジェリア移民のオスロ市内での売春が社会問題になった。女性や子どもの人身売買・性搾取に関する「パレルモ議定書」を批准した頃であり、貧困・格差とつながった。世界初のスウェーデン買春処罰法も刺激となった。こんな買春反対の空気をキャッチしたのは、小政党の左派社会党や中央党だった。 2008年、左派中道連立政権(労働党・中央党・左派社会党)は、女性が過半数を占める内閣で「買春処罰法」を成立させた。「国内外で性的サービスを買うことは違法、性的サービスを売ることは合法」「性的サービスを売る人から利益を得ること、場所を提供することは違法」「性的サービスの宣伝は違法」等が明記されている。 さて今、日本では、AV(アダルトビデオ)出演による性被害が深刻な問題になっていて、4月に突如、自公与党からAV新法案が飛び出し、瞬く間に衆院を通過した。条文には「撮影時の性交・性的虐待禁止」はない。「性交を合意させる契約は無効」もない。あるのは「撮影時、性交を強制してはならない」である。 その道のプロから言葉巧みにスカウトされた女性たちは、契約書に“自らすすんで”サインする。屈辱的性行為を撮影された動画はネットで世界に

第106回 「ウクライナのためのクラクフ」の女たち(ポーランド)

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ポーランドのクラクフは、ロシアの軍事侵攻以来、ウクライナ女性たちが身を寄せる世界一の「ハブ港」となっている。フェイスブックページの「ウクライナのためのクラクフ」はメンバー3万5000人。助けを求める声、助けますという声であふれ返る。 「大家族向きの家を数カ月間、無料で貸します。数家族一緒でもOK」 「キエフから車で逃れてきた数人をアパートに泊めています。近くに無料駐車できる所ありませんか?」 「先週まで住んでいた所を出なくてはいけない女性がいます。一家は5歳の息子と祖母、猫1匹(おしっこのしつけ済)。彼女の仕事はITなのでネット環境必須」 「戦火で家族全員を失い、犬4匹(1匹は足に怪我)と生き延びた女性を泊めています。彼女も足を撃たれましたが、車を押して犬と散歩したいそうです。乳母車または似た車を求む」 「2組の母子を預かっていますが、もう1組受け入れOKです」 こんな切実な投稿を読んでいたら「クラクフは女だ!」という巨大なポスターを思い出した。クラクフを訪問した3年前の春、広場に貼られていた。目を奪われた私は、市役所に駆け込み、受付で「あのポスターは何ですか?」と聞くと、担当した職員を紹介してくれた。 「昨年(2018年)は、ポーランド女性参政権100周年。クラクフの有名無名の女性たちを知らせるポスター展を企画しました。今年も女性デー前後の数カ月間、広場に展示しているのです」という。   クラクフ女性センターを訪ねると、所長は「女性参政権なら、クラクフ郵便局職員のヴワディスワヴァ・ハビヒトを忘れてはなりません」と教えてくれた。 「ハビヒトは1903年、女性職員のための生活協同組合を立ち上げ、1911年から女性参政権運動に力を入れて、1918年の女性参政権獲得に貢献しました。でも実は、彼女を有名にしたのは参政権より、独身女性が安心して住める安価な住居を造ったこと。働くシングル・ウーマンのために集合住宅を誕生させたんですよ、第一次大戦より前に。『忍耐と連帯と』が彼女のモットーでした」 かつてロシアなど強国によって国を奪われてきたポーランド。母国語すら使えなかった時代、ポーランド民族の命綱は「非合法運動」だった。キュリー夫人で知られるノーベル物理学・化学賞のマリア・スクウォドフスカが通った学校も、個人の住宅を解放してつくられた「非合法学校」だったという。 難民たちに住ま