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第105回 プーチンは究極のDV男だ(ウクライナ)

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2月24 日、ロシアのウクライナ侵略が始まると、隣国ポーランドのスワヴォーミラ・ヴァルチェフスカは直ちにウクライナ国旗をつけた顔写真を世界に発信した。 彼女が館長を務める「クラクフ女性センター」を私が訪問したのは3年前の今頃だった。以来ネットでおしゃべりを交わしてきた。2月24日以降、彼女のフェイスブックは、ウクライナ救援情報であふれかえっている。   今日の1枚は、首都キエフ在住のイーナ・コーノノヴァが2月25日に投稿した写真である。 「投稿」を、英語でPOSTという。だから、これこそが本当のポスターだ。イーナは、ロシア襲撃後、「パニックになるより創造力を」と、ガムテープでガラス窓の修理にかかった。「戻れる日まで、このままにしておきます」と写真を撮った。それが遠い日本の私にまで届いた。胸がつぶされそうになった私は、イーナに直接そのことを伝えた。   この写真は、女性運動家たちにはデジャヴ( déjà-vu 、既視感)だ。そう、DV夫によって破壊された家具調度を妻が修理した後とそっくりなのだ。DV男は、自分だけが偉く正しいと思い込んでいる。言う事を聞かないやつは、徹底して力でねじふせる。自分の暴行を正当化するためなら、平気で嘘をつく。自分の悪業を他人のせいにする。自分こそ被害者と言いつのる。 プーチンこそ究極のDV男だ。   数日後、イーナは、娘夫婦とその幼い子ども総勢5人で、友人宅の地下シェルターに逃げ込んだ。 「死に直面していますが、ありがたいことに生きています」 「ああ、私たちの空、私たちの大地、私たちの祖先。でも、私たちの子孫は私たちが生き延びることにかかっています」 「夕べは食欲がなく何一つ食べられませんでした。これで無理なく痩せられます」 「ル・シルポ(キエフのスーパーマーケット)やカフェ…。また、あの日常が戻ってくるはずです」   一方、ポーランドのスワヴォーミラは、私にこう書いてきた。 「ウクライナからポーランドに逃れてくる人たちの多くは、クラクフにやってきます。3月10日には30万人が到着。クラクフは貧しい人たちも多い町ですが、自分たちの家に招き入れ、部屋を提供し、温かい心を捧げています。私は、クラクフを誇りに思います」   ポーランドは 80 年ほど前、ナチスドイツに蹂躙され、耐えに耐えた。そのうえ女性は家父長制のもとで「もうひとつの闘い」にも耐

第104回 女戦士シャールカの子孫たちは戦う(チェコ)

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スメタナの交響詩「わが祖国」。あの「モルダウ」の名旋律の次の曲「シャールカ」が本日のテーマである。 チェコの民話によれば、偉大な女性預言者リブシェ亡きあと、男たちが女たちに乱暴狼藉を働くようになった。怒り心頭に発した女戦士シャールカは、男たちに酒を大盤振る舞いしたのち角笛の合図で女兵士たちを集め、男たちを皆殺しにする。 シャールカの子孫である現代のチェコ女性たちもまた、男たちの暴力にさらされている。 昨年、「 18 歳以上の女性の2人に1人が性暴力や性的ハラスメントに、 10 人に1人が強姦にあった」という調査結果が公表された。これに、現代のシャールカたちでつくる非営利団体「プロフェム」が怒った。   首都プラハの住宅地区にある「プロフェム」のオフィスを私が訪問したのは、3年前のちょうど今頃だった。インターンも含めて 10 人ほどの女性が、広く明るい部屋でパソコンに向かっていた。 その時、頂戴したポスターを見ると、女性が射撃の的になっており、足元から流れる血が、真っ赤なハートにつながっている。ハート横には「愛しているから、つい殴ってしまう」。暴力男のよくある言い訳で、これが加害者を増長させ、暴力が繰り返される。そんな日常を描いている。 プロフェムは、調査、啓発広報などだけでは解決に結びつかないと考えて、昨年末、性暴力の犠牲者に特化した大掛かりな救済装置「総合センター」を造るプロジェクトをスタートさせた。ホームページを見るとネット募金を始めたばかり。2月 18 日現在で4万6450コルナ(約 25 万円)が集まったと報告されていた。寄付者にノルウェー政府が名を連ねている。さすがだ。 「性暴力被害者の多くはトラウマを一生引きずります。海外では当たり前の総合センターですが、残念ながらチェコにはありません」と担当者は言う。 待ったなしの緊急救助から始まって、カウンセリング、心理療法、刑事法の支援、医療的治療、社会福祉サービス…やるべきことは世界中同じだ。   では日本は? 日本のシャールカ、野口登志子さん(元鳴門市人権推進課副課長)は、行政府の生ぬるい対策に怒って、被害者支援の法人「白鳥の森」を徳島に発足させた。「公的支援はハードルが高く、一時保護期間も短く実態に合わない。公がやるべきことを私たちがやっているのです」。 日本には、 66 年も前につくられた売春防止法に依拠し

第103回 女の拳で「女性の家」を造る(デンマーク)

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世界中で、女性たちが女性であることに喜び、女性差別撤廃に声を上げる日、国際女性デー(3月8日)が、もうじきやってくる。 国際女性デーは、1910年8月、デンマークでの国際社会主義女性大会で提唱された。世界 17 カ国から女性たちが、汽車や船でやってきた。議論に次ぐ議論の末に活動目標を「各国の女性運動組織の国際的連携」「各国での女性参政権獲得」「母子福祉政策の確立」の3本にしぼった。最終日、「女性参政権獲得の闘いを、メーデーのように世界中でいっせいに」と宣言した。   翌1911年3月、「国際女性デー」が世界各地で初めて挙行された。デンマーク、オーストリア、ドイツ、スイスを中心に100万人以上がデモと集会に参加したそうだ。 デンマークは当時の記録をネットで公開しているのだが、それによるとコペンハーゲンの第1回女性デーは、デモ行進後の集会に「公民館」へ600人、「職人組合館」へ900人も押し寄せて会場に入りきれず、急遽野外集会となった。女性に選挙権がないことへの激しい怒りと悔しさ、燃えたぎる闘争心が込められた宣言文が採択された。 デンマーク女性は、それから4年後の1915年に参政権を獲得した。   このポスターは半世紀以上経た1979年、アンデルセン生誕の地オーデンセでの国際女性デーのもの。デンマーク民主党女性協会、全国青年教育協会、デンマーク共産党、社会民主党青年部、左派社会党、「女性の家」協会など加盟団体が多彩なのが印象的。女性解放団体「レッドストッキング」が元気はつらつな頃だ(「叫ぶ芸術」 72 回参照)。 女性が握りこぶしで壁をぶち破っている。目を引くのは「闘争の日 KAMPDAG」というデンマーク語。国際女性デーを「国際女性闘争デー」と呼んでいるのである。この年のオーデンセは、闘いの目標を「女性の家」創設に絞っていた。 70 年代前半、コペンハーゲンなどは女たちが空き家を占拠して「女性の家」を造り、女性解放運動の拠点にもなった。そんな場をオーデンセにも作ろう、と呼びかけたのだ。 午前 10 時、オーデンセ市民の憩いの場ムンクムーセ公園に集合。演説、デモ行進。その後、演劇、音楽、展示、女性だけのパーティ … といった催しが、市のあちこちで夜中の1時まで続いた。   ちなみに日本だが、1911年に大逆事件で幸徳秋水、管野スガらの死刑が執行され、「窒息の時代」がずー

第102回 男女半々こそ政治のアタリマエ(フランス)

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さすがは芸術の国。人々の眼を奪うシンプルさ。これは、 1998 年 3 月 8 日の国際女性デーにむけて、フランス政権与党が打ち出した傑作ポスター「彼女たち抜きの変革なんてあり得ない」である。   フランス社会党は、 1994 年、完全比例代表制で行なわれる EU 議会選挙で、候補者リストを男・女・男・女 … と交互にする 50 %クオータ制を実行した。 95 年、ジャック・シラク大統領は、「男女同数監査委員会」から憲法改正を含む提言を受けた。 96 年、女性の権利相だったイヴェット・ルーディなど女性議員が週刊誌『レクスプレス』に「パリテのための 10 人宣言」を発表。世論は一気に盛り上がった。 97 年、総選挙で「女性候補 30 %以上」を実行した社会党は支持を集め選挙に勝った。しかしながら、女性は全国会議員の 1 割にすぎなかった。 97 年、大躍進したフランス社会党は、リオネル・ジョスパン首相のもとで、社会党・共産党・緑の党などによる左翼連合政権を成立させた。大統領は共和党のシラクだったので、この政権は「コアビタシオン」と呼ばれた。コアビタシオン( Cohabitation )は「同居カップル」のこと。保守の大統領と革新の首相との共存政治体制をも、コアビタシオンと名づけたところが面白い。ジョスパン首相は、施政方針演説で「男女同数制 ( パリテ ) を実現するために憲法を改正する」と宣言した。 イヴェット・ルーディらの社会党は、 1982 年に「地方選の 25 %クオータ制」法案を作ることに成功したものの、憲法院から違憲とされる苦い経験をした。違憲判決を跳ね返し乗り超える論理が必要だった。理論家の中心に、ジョスパン首相の妻であり哲学教授のシルヴィアンヌ・アガサンスキーがいた。その主張を私流にごく簡便に表現すればこうだ。 「そもそも人類は女性と男性でなりたっている。女性抜きの社会なんてありえない。だから私たちフランス社会は、差別をなくすために暫定的に女性議員を増やそうというクオータ制ではなく、女性と男性が政治権力を半々に分かち合うための法をつくるべきだ」   こうして 1999 年、憲法にパリテ(男女同数)条項が入れられ、翌 2000 年、通称パリテ法という男女半々選挙法ができた。今日のポスターは、その歴史的大改革運動の表紙である。 2022年1月1日