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第132回 今も昔も「封建制の呪縛」(日本)

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  2012年6月、東京の立川市でポスター展・講演会「ポスターに見るノルウェーの女性、日本の女性」があった。ノルウェーのポスターが主だったが、日本政府が作成したポスターも少し展示されていた。国分寺市議の皆川りうこさんが口を開いた。 「ノルウェーの作品からは女たちの叫びが聞こえてきて、三井さんの言う『ポスターは叫ぶ芸術』だと納得できます。でも、こっちからはいくら耳を澄ましても何も聞こえてこない。これは例外ですが…」 「こっち」とは日本のこと。そして「これは例外」は、本日の1枚である。私はドキュメンタリー映画『山川菊栄の思想と行動——姉妹よ、まずかく疑うことを習え』(山上千恵子監督)を見ていたので、「山川菊栄のポスターだ」とピンときた。 ■ ポスターをつくった労働省は、戦後、GHQの指導により社会党の片山哲内閣が新設した。その初代婦人少年局長に抜擢されたのが山川菊栄だった。山川局長は、日本女性が初めて参政権行使をした1946年4月10日から1週間を「婦人週間」と定めて、啓発活動に乗り出した。 山川菊栄はフェミニストだった。何より驚嘆したのは、その人事だ。全国にある地方出先機関の室長の任命が急がれていたが、地方から上がってきた候補は男、男、男…。「女性解放は女性の手で」と考えていた彼女は、最適の女性を探して地方行脚に出かけ、200人以上の室長ポストの全てに女性をすえた。これは21世紀の今でもありえない。 ■ 2000年、私は、大阪府豊中市の男女共同参画推進センターすてっぷの初代館長全国公募に手を挙げ、選任された。 しばらくして、全国女性関連施設の代表・職員向け研修会に出席するため、埼玉県嵐山町の国立女性教育会館(ヌエック)に出向いた。受付は「館長」と「職員」に分かれていた。私が「館長」の方へ進もうとすると、係が「ちょっと、あなた。あなたはあっちです」と「職員」の方を指さした。 会場に入ると、「館長」と指定された席に座っていたのは、私を除いて全員男性だった。 ■ さて山川局長だが、1951年、自由党の吉田茂内閣の時、「管理職試験に不合格」という理由で解雇されてしまう。後に彼女は「卑怯な闇討ち」と怒っていたという。 実は、私も同じ仕打ちにあった。館長就任3年後のこと、「体制強化のため」と称する組織変更案が、突如、上から降ってきた。次期館長試験を受けた

第131回 わが子を売られた奴隷は叫んだ(アメリカ)

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  アメリカの最も偉大な女性解放運動家、黒人解放運動家は誰か、と聞かれたら、私は躊躇なくソジャーナ・トゥルース(1792?—1883)をあげる。ポスターからこちらを見ている女性だ。 ニューヨーク州アルスター郡のハドソン川のほとりに生まれた奴隷で、イザベラと呼ばれた。1827年、ニューヨーク州が奴隷制を廃止するまで、5人の主人に売り買いされた。オランダ人入植地で育った彼女は英語が話せず、ミスが目立ち、毎日、激しく殴られた。 20代の頃、男性奴隷に恋をして子どもを何人かもうけたが、主人はこれを許さず、2人は引き割かれた。彼女は末娘を抱いて逃亡。奴隷制廃止論者でクエーカー教徒夫妻が、わずか20ドルで、主人から身柄を買い取ってくれた。 しかし、一難去ってまた一難。息子の1人が他州に売られてしまった。取り戻すために法廷闘争に打って出た彼女は、クエーカー教徒宅から法廷まで片道8キロの道を、裸足で通い続けた。やがて弁護士宅に住み込むことができ、弁護士は無報酬で弁護してくれた。そして黒人女性が白人男性に勝訴! 奇跡だった。 ■ 1843年、 イザベラは「神の 啓示を受けた」と称して、ソジャーナ・トゥルース( Sojourner Truth 、「旅人」「真実」という意味)と名前を変え、黒人解放運動、女性解放運動の行脚に出る。 彼女の業績を不動のものとしたのは、1851年5月、オハイオ州アクロンで行なわれた全米女性の権利大会での演説「私は女でないのですか」だった。彼女は、招待もされず、演説予定者でもなく、頼まれもしなかったにもかかわらず、自ら演説をし始めた。読み書きができなかった彼女は、全て即興で語った。183㌢の体躯に朗々とした声、ジェスチャーやウィットも交えた、と語り草になった。 「私は男と同じくらい筋肉があり、男と同じくらい多く仕事ができます。 この腕を見てほしい。耕し、刈り取り、皮をむき、切り刻み、草を刈ってきた、これ以上のことができる人がいますか。私は女でないのですか」 「私は13人の子を産み、ほとんどが奴隷として売り飛ばされた。わが子を奪われた母の叫びを聞いてくれたのは神だけでした。 私は女ではないのですか」 ■ ソジャーナの死から37年経って、アメリカ女性(黒人は除く)は参政権を獲得した。黒人が参政権を得たのは、さらに35年経ってからだった。 80年代、コロンビア大学学生

第130回 収入の3分の2を弱者に寄付する市長(オーストリア)

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  オーストリアで、首都ウィーンに次ぐ第2の都市グラーツは、人口30万。大学、美術館、オペラハウス、古城。その美しい街は世界遺産に指定されている。 このグラーツの市長エルケ・カーが、2023年世界市長賞に輝いた。「市議会議員および市長として、市と住民に対する無私の献身」と評価された。 国の中では裕福な都市だが、当然、貧しい人たちもいる。市長エルケ・カーも移民の多い地区で錠前屋の娘として育った。商業高校卒業後、銀行で働きながら、夜学に通った。 エルケは、幼い頃から「団結と社会正義に満ちた社会を作りたい」と思っていた。ある日、「あなたの価値観は共産主義ではないか」と先生に言われ、共産党事務所を訪ねた。以来、党活動に打ち込み、20代初めに党員になった。10年後、市議会議員に初当選。30年近く市議を続け、2021年、市長となった。 ■ ところが、オーストリア国会には今も共産党は1議席もない。国全体の共産主義嫌いの風潮は日本と似ている。なのに、なぜグラーツ市では“政権”を握ることができたのか。 道を拓いたのは、かつてのグラーツ共産党代表アーネスト・カルテネッガーだった。彼は、議員としての自らの賃金を労働者の平均賃金(現在2000ユーロ)と同じにするため、3分の2を寄付して、市の福祉サービスからもれ落ちた人たちの緊急手当に使うことにした。この「ロビン・フッド」策は党の内規となり、全議員が寄付を続けた。彼が初当選した80年代1・8%だった共産党は、2003年21%に躍進。 彼が病気で引退した後、党を率いたのはエルケだった。2017年に20・3%で第2党に。 2021年には29%をとって最大政党に。同年、共産党、緑の党、社民党による3党連立の“政権”ができて、初の共産党市長・初の女性市長が誕生した。 オーストリアに限らずヨーロッパの地方議会は、比例代表制選挙が多い。政党は男女交互の候補者リストを作るので、男女半々に近い議会となる。市長選はない。市長は連立政党間の協議で決まり、通常は市議選で最高得票をとった党の代表が就く。いわゆる議院内閣制だ。 ■ 今日のポスターは、エルケ・カー市長肝いりの企画「グラーツ女性賞」の募集に使われた。毎年、グラーツ市の女性が政治・社会的にエンパワーするようなプロジェクト1つが選ばれ、6000ユーロ(約100万円)が授与される。国際女性デーの3月8日に応募

第129回 海の向こうのトランプに反撃!(フランス)

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  3・8国際女性デーに向けて、4日前の3月4日、フランスのヴェルサイユ宮殿で両院議会が開かれ、人工妊娠中絶権を憲法に明記する議案が可決された。 その生中継が、セーヌ川対岸にエッフェル塔を望むトロカデロ広場の巨大スクリーンに映し出された。 国会議長ヤエル・ブロン=ピヴェ。マクロン大統領派の政党「再生」に属する彼女は、木槌を振り上げて、「賛成780、反対72」の大差で憲法改正が決まったことを告げた。議場はスタンディングオベーション。ほぼ同時に、トロカデロ広場にあふれる市民たちも大歓声と感涙の嵐。エッフェル塔には「私のからだ、私の選択  Mon corps, mon choix 」の文字が浮かび上がった。 議場では、憲法改正案を提出した急進左派「不服従のフランス」のマチルド・パノ議員が登壇して、世界との連帯を高らかに唱えた。「これは、私たちの勝利であり、世界の女たちの勝利です。アルゼンチン、アメリカ、アンドラ、イタリア、ハンガリー、ポーランドなどで中絶権を求めて闘う女たちの勝利なのです」 ■ フランスが人工妊娠中絶を合法としたのは1975年だ。フランス女性の権利情報センターが作ったポスター「女性の進歩の世紀 1900—2000」(写真)を見てほしい。下から6段目の「ヴェイユ法」がそれである。道を開いたシモーヌ・ヴェイユ厚生相にちなんで名づけられた。なのに、なぜ、いま改めて、憲法に? それは、米連邦最高裁が妊娠中絶権を覆す判決を下したからだという。 ■ 思い出すのは、1983年のアメリカだ。妊娠中絶権を認めた「ロー対ウェイド判決」(1973)から10年。妊娠中絶に反対するレーガン大統領(当時)によって判決が覆される危機に瀕していた。ニューヨークのブロードウェイに女たちの声がこだました——「女の身体は女が決める」「個人的なことは政治的なこと」。当時、ニューヨークのコロンビア大学に留学していた私も一緒にこぶしをあげた。 そして2017年、トランプがアメリカ大統領に就任。彼は米連邦最高裁判事の過半数を保守派にした。2022年、その最高裁は「ロー対ウェイド判決」を破棄し、女性から中絶権を奪いとった。 アメリカのようにしてなるものか。フランスは、憲法で妊娠中絶権を保障するという世界初の選択をした。ひるがえって日本。とうの昔にお払い箱となったフランス刑法の堕胎罪をまねた「明治刑法の堕

第128回 ボーヴォワールを忘れない(クロアチア)

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  1月9日は、『第二の性』の著者シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908—1986)の誕生日だ。そして、「女性の自由のためのボーヴォワール賞」の授与日でもある。 2024年の同賞は、コートジボワールのマリー・ポール・ジェグ・オクリが受賞した。アフリカのフェミニストで、農学者。「女性の権利のためのコートジボワール連盟」を通じて、女たちのための農業の手法を開発し、提供している。女たちが野菜を生産販売して得たお金は、子どもたちの教育費となり、それが新たな解放を生み出しているという。ボーヴォワールの提唱した「経済の男女平等」への闘いの実践者であることが受賞理由だった。 この賞は、2008年、ボーヴォワール 生誕100年を記念し、ジュリア・クリステヴァ(ブルガリア生まれのフランスの哲学者)によって創設された。毎年、女性の自由の擁護と発展のために世界的な貢献をした個人、団体、作品、活動に与えられる。副賞160万円。 ■ ボーヴォワールの『第二の性』は、フェミニズムのバイブルだ。和訳本を私が手にしたのは、70年代、就活を考え始めた大学3年の時だった。『第二の性』は、女たちが、この社会でどう受け止められてきたかを生物学的、歴史的に究明していた。「女であることの不遇」に直面していた私は、苦しくなって読み進めなかった。先日、もう一度、本を開いてみた。 プラトン「女ではなく男につくってくれたことで、神に感謝した」 アリストテレス「生まれ出るすべての存在において、男性的なものである運動原理の方がすぐれていて、崇高である」 聖トマス「女は男の支配下に生きる定めであって、女には自分の主人に対していかなる権限もないのは明白である」 ルソー「女は男に譲歩し、男の不当な仕打ちにも耐えるようにできているのだ」 バルザック「女の運命と唯一の栄光は男の心をときめかすことである」 オーギュスト・コント「女とプロレタリアは行動の主体にはなりえないし、なるべきでもない。また、なりたいとも思っていないだろう」 クソーッ! 怒りで、体が熱くなった。 ■ 今日のポスターは、2008年9月26日、クロアチアの首都ザグレブで催された「ボーヴォワール生誕100周年記念大会」を知らせたもの。主催したクロアチア女性学センターの代表ラダ・ボリッチから寄贈された。女らしくあれと決めつけた先人たちに対する彼女の叫び「私は私らしくある

第127回 男女平等教育こそ平等社会への道(フィンランド)

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フィンランド女性は1906年に参政権を獲得した。ヨーロッパでは最も早かった。 かれこれ30年ほど前、私はヘルシンキにある「フィンランド女性会議」(1911年創設)を訪問した。同会議幹部たちから「女性参政権を世界で最も早く獲得したのはニュージーランドと言われていますが、原住民のマオリ族には参政権を与えませんでした。ですから、我が国こそが世界初なのです」と聞かされた。 さらに、こうも言った。 「フィンランド女性は、男性と同じ年に参政権を獲得したので、世界で最もジェンダー・ギャップ(性差)の小さい国ともいえます」 日本女性の選挙権獲得は1945年。つまり、女性たちは、男性が選挙権を得てから20年もの長きにわたって待たされた。日本に限らず多くの国がそうだった。 ■ この訪問から10余年後。 2006年、フィンランドは女性参政権獲得100周年を大々的に祝った。男女平等社会を求めて闘ってきた女性の歴史を、あらゆる分野から顕彰する官民あげての一大イベントだった。その時の記念すべきグッズのひとつが、今日のポスターである。一翼を担った「フィンランド女性会議」から私に寄贈された。 勉学する女の子の真剣な表情。使っているのは黒板とチョークだ。タブレットを使う現代っ子にはとても信じられないだろう。 ■ フィンランドの教育はかねてから世界中で注目されてきた。そのもとになったのは、OECDの世界の子どもの学力を測る「国際学力調査PISA」だった。PISAは、15歳の読解力、数学、科学3分野をみるテストだが、フィンランドは20年前に世界一を獲得し、その後もヨーロッパ諸国の中で上位を維持している唯一の国だ。 ところが昨年暮に公表されたPISA2022で、フィンランドは激しく落ち込んでしまった。読解力14位、数学20位、科学9位!フィンランド・メディアは「フィンランド政界 PISAの大失敗で大騒ぎ」「PISA崩壊にヘンリクソン教育大臣『流れを逆転させねば』と語る」と報じた。とはいえ、こんな表現もある。 「フィンランドは、数学において女子の成績が男子よりも優れた唯一の国」 「科学では女子522点、男子500点。 女子が男子より22ポイントも上回ったのはフィンランドのみ」 差別・選別のない多様性社会こそ未来のあるべき姿だ。PISAで順位が少しばかり下がったとはいえ、フィンラン

第126回 移民難民を受けとめる バイキングの末裔たち(ノルウェー)

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  2023年9月18日夜7時半、ノルウェーに移住してきた大人たちにノルウェー語を教えるローセンホフ成人学校を訪ねた。分校も含めると教職員約180人、生徒約2000人。「世界最大のノルウェー語研修センター」だ。100年以上も昔にオスロの小学校として建てられ、ナチスドイツ占領時代は、親衛隊の本部・兵舎に使われた。   210番教室に入ると男女14人が座っていた。担任のビヤーネ先生が小声で言った。「出身はアジア、アフリカ、中東など全世界です。個人情報は、母国の当局と生徒とに悪影響を与える場合もあるので聞かないでほしい」 でも、自ら語るのはかまわない。「元ポルトガル領ギニアビサウから来た」という男性がいた。職場から直行したらしく、黄色い土木作業着だ。「IT会社勤務の夫と、オスロ湾を見渡せるマンションに住んでいる」というインド人女性もいた。 先生はパソコン2台に超大型ディスプレイ、白板を使いながら、ノルウェー語でゆっくり話す。テーマは、朝。「何時に起きましたか」「朝食は何時でしたか」「誰と食べましたか」と質問し、生徒が答えていく。 「妻と食べました」と言った男性に、「パートナーは同性のこともありますね。ノルウェーでは普通のことですよ」と先生。なるほど、こんなふうにノルウェー社会に慣れさせるのだ。 いまやノルウェー人口の16%を移民が占める。2021年、国は211の自治体に対して5,025人の難民が定住できるよう要請した。 移民難民を守るのは「統合法」だ。法の目的は、言語習得とその教材内容の双方から、移民がノルウェーで永続的な職業生活を送れるようにすること。 年 22万3000 クローネ(310万1220円)の授業料給付金制度もある。25歳未満の生徒は、親と同居していない場合3分の2、同居中なら3分の1。給付金は課税対象だ。理由なく授業を休むと減額。ただし病欠や育休は認められる。 こうして、3年間ノルウェーに住めば、外国人にも地方議会への選挙権が与えられる。   今日のポスターは4年前、地方選を取材に行った時、オスロの駅で見た。 「男性」、「女性」、「白人」、「黒人」ごちゃ混ぜの現代ノルウェー人が叫ぶ、「あなたの選択を他人にまかせるな」「あなたの投票の権利を使え」 2023年秋、選挙を終えたオスロ市議会は、2児を抱えたシングルマザーのスリランカ移民、ゲイ

第125回 男はみんなこうしたもの(ドイツ)

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これは、ドキュメンタリー映画 * 『不屈の女たち』(2021)のポスターだ。古めかしい演壇に真っ赤なバッグ。ドイツを象徴する鷲は、なぜか右を向いて笑っている。 ジャーナリストのトルステン・ケルナー(1965〜)が、ドイツ連邦議会に挑んだ女たちの闘いを映像で描いた。 はじめに、ドボルザークの『新世界』が流れる。指揮は“マッチョ”のカラヤンだ。男だらけの楽団、内閣、国会、マスコミ…黒ずくめの「旧世界」を皮肉ったのだろう。 ケルナー監督は映画について「誰もが恥ずかしいと思って見てほしい。むろん僕は男ですから人一倍恥ずかしい」とメディアに語る。実際、恥ずべき性差別のオンパレードだ。 ■ 初の女性閣僚に「この中では貴女も男性です」とのたまう首相アデナウワー。キリスト教民主同盟CDU大会で演説する女性連合代表を不快そうににらむ党首エアハルト。議場で社会民主党SPD女性議員の背中を触って「ノーブラか否か調べた」とほざく男性議員。家庭内強姦に刑罰を求めた女性議員に「誰も君とは寝ないよ」などと野次の嵐。セクハラを取り上げた女性議員に「政治問題にせず人間的解決が妥当では」と諭す男性ジャーナリスト。青年部長に就任した女性議員を紹介する男性議員に「あなたたち“交渉”したの」とニヤける首相ブラント。議会の役員6人全て女性となった緑の党を「女たちは男たちを情け容赦なく追い出した」と報じる男性ジャーナリスト。極めつけは、2005年のテレビ討論で首相シュレーダーがメルケルに吐いたセリフだ。「本当? 貴女の下で連立を組むという提案に我が党が応じるとでも? しかも貴女が首相に? 節度を守らねば」 あぁ、1990年前後の東京都議会も男の牙城だった。新参議員だった私への男性議員らのセクハラの数々が、昨日の事のように蘇ってきた。 ■ それにしても、ドイツ女性議員の芯の強さよ。70年代に「次の選挙では女性議員を2倍以上にする」と豪語したSPDの女性。「ミサイルは不要。必要なのは新しい男」と言い放った緑の党の女性。「軍拡反対は男性より強力です。(女性を)美化はしませんが、女性には日常の生活がより身近なのです」と超党派女性議員の軍拡反対を代弁した、これも緑の党の女性。「政治はとても大切で、男だけに任せておけない」はSPDの女性の名言だ。 映画の最後は、新進気鋭の女性指揮者、ミルガ・グラジニーテ

第124回 性的搾取を許さない町へ(スペイン)

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この9月、私はノルウェーで地方選挙を現地取材していたのだが、思いがけなく、親友が「航空券をプレゼントするから数日間アリカンテに遊びに行こう」と誘ってくれた。オスロから直行便で3時間半。生まれて初めてのスペインだった。 スペイン・バレンシア州アリカンテ県アルテア。コスタ・ビアンカ(白い浜辺)がどこまでも広がる地中海沿いの町だった。「ノルウェーの1年の半分は白黒の世界でしょ。そこからカラーの別天地にやってくると、わくわくするのよ」と友人は言った。 ■ 滞在3日目だった。バスの窓からチラリと見えたポスターが気になった。町の明るさとは真逆な悲しさ漂う眼が、こちらを見ていた。 その夜、「あれは、女性が泣いている写真のような気がする。女性への暴力防止ポスターではないかしら。明日、また行ってみたい」と友人に話し、翌日、連れて行ってもらった。 ポスターはアルテア市警察署そばの掲示板に貼られていた。市の男女平等部がつくったもので、3つのことを知らせていた。 ①9月23日は、女性・子どもたちへの性的搾取と人身売買に反対する国際デーである。 ②9月19日11時30分、「アルテア・ラジオ」は人身売買反対の番組を放送する。 ③11月15日9時30分から14時までアルテア市庁舎で円卓会議を開く。会議にはアメリア・ティガヌス( Amelia Tiganus )が参加する。 ■ アメリアは『売春婦の反乱—被害者から活動家へ』(2021)の著者。世界に知れた買春処罰を求める女性解放運動家だ。1984年ルーマニアのガラチに生まれた。子どもの頃、性暴力の被害にあい、家では虐待され続けた。医師か教師を夢見ていた少女は、精神を病み不登校に。17歳でスペインのアリカンテに連れてこられて5年間売春を強要され、その後、悪の巣窟(彼女は「強制収容所」と呼ぶ)から脱出した。 彼女は、性的搾取をセックスワーク、性的搾取被害者をセックスワーカーなどと矮小化して、買春を容認する現象に徹底して異議を唱える。 「性的に搾取されている女性が世界に一人でもいる限り、男女平等や社会正義、あるいは良い社会について語ることは空しい」「私の個人的な歴史は政治問題なのだから、政治の関与を強く求める」と語る。 アルテア市議会は、今年末、買春処罰条例案を制定する予定だとか。 (2023年11月10日)

第123回 「死に票なしの社会」とは(ノルウェー)

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民主主義度世界一といわれるノルウェー。その地方選を取材するため、今オスロにいる。 1カ月間の長い事前投票を経て、9月11日(月)が投票日。政党の選挙ポスターがあちこちにあったのだが、翌12日にはウソのようになくなった。以前と違って電子掲示板なので、ボタン操作ひとつで消されてしまう。 ■ このポスターは、社会民主主議を標榜する労働党のもので、「若者たちに毎夏6000のアルバイトを約束します」とうたう。若い男女5人に囲まれた男性はレイモンド・ヨハンセン。2期8年間、オスロ市政を主導してきた。日本で言えば都知事にあたる。 ところが、である。オスロの労働党は連立を組むはずの左派中道系政党と合わせても過半数に達せず、自民党にあたる保守党に主導権を奪われた。 ■ ヨハンセンは、高卒後、老人ホームの介護職をし、後は配管工をしながら政治活動をしてきた。大企業優先の傾向に逆らう彼の人気は高く、世論調査では誰よりも高得票だったのに、彼の党は負けた。理由は、ノルウェーの比例代表制選挙にある。市民が選ぶのは候補者個人ではなく政党だからだ。日本と違って個人の人気投票ではない。 だから政党は、いかに自党の政策が他党と違うかを端的に伝える。テレビ番組は、地方自治選挙であろうと、国会議員である党首の丁々発止を報道する。物価高騰、住宅難などが、労働党中心の現政権に不利に響いた。閣僚の不祥事による辞任、閣僚の夫の株の不明朗売買などスキャンダルも痛かった。 ■ オスロ市は投票率64・2%。各党の獲得票と議席は次の通りだ。ほぼ死に票がない。保守党32・6%(20)、労働党18・4%(11)、緑の党10・2%(6)、左派社会党10・1%(6)、自由党9・1%(6)、進歩党6・1%(4)、赤党5・8%(4)、キリスト教民主党1・7%(1)、新党1・2%(1)。 今回、オスロ市議に初当選したなかには、84歳のグロ・H・ブルントラント元首相(労働党)がいる。首相経験者の市議は初めてではないか。スリランカ移民で福祉職の30代の女性スラクサナ・シバパタン(左派社会党)も初当選した。 西海岸のハラム市では、17歳の女子高生ジェニー・アルベスタ・オーネス(左派社会党)が初当選。最年少議員となった。立候補の弁は「社会の格差をなくすこと。出自も貧富も関係ない平等な社会を目指す」。ベルゲン市では、当選には

第122回 「ウィシュマ事件」とミラ・センター(ノルウェー)

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「姉のウィシュマは、治療を受けていたら、35歳になって今も生きています。救急車を呼ぶこともしなかった卑劣な入管行政。その恐ろしさは言葉では言い尽くせません」 8月7日、参議院議員会館101号室。33歳で亡くなったスリランカ人・ウィシュマ・サンダマリの妹ワヨミは、怒りを込めた言葉でそう訴えた。もう1人の妹ポールニマも言った。 「こんなむごい人権侵害を国家機関が実行したことに、日本のみなさんは目をつぶっているのですか」 ■ ウィシュマは、日本語学校の学生だったが、学費を払えず退学となって学生ビザが切れた。ある日、同居していたパートナーの暴力に耐えかねて警察に駆けこんだ。暴力におののき、(授業料の)お金も取られ、中絶もさせられた。 ところが警察は、DV防止法にのっとって彼女をDVシェルターに連絡するどころか、名古屋入管へ送った。監禁されて体調を崩した彼女は、点滴や入院を要望したが応じてもらえず、非業の死を遂げた。 「ウィシュマ事件」は、2019年9月、オスロで訪問したミラ・センターを思い出させた。その壁に貼ってあったポスターが今日の1枚だ。 同センターは、ノルウェーの移民難民女性からありとあらゆる相談を受け、彼女たちが自立できるようにサポートする。パキスタンからの移民ファークラ・サリミが、30年前、マイノリティ女性への偏見打破と人権擁護を求めて設立した。現在、フルタイムの有給職員7人が月〜金の9時から16時まで働く。弁護士や学者研究者等がボランティアで周辺を固める。ここへの問い合わせは、年2万件を超す。 ポスターには、「内なる痛み—虐待に国の違いはない」とある。DV被害の女性たちが、お互いに励ましあい、力をつけて自立への道を歩む。それをセンターは見守る。ファークラは、さらにこう続けた。 「私がノルウェーに来た70年代、外国人は投票も立候補もできませんでした。外国人参政権は、私たち移民の運動が闘い取ったのです。センターの重要な役割は、マイノリティの女性たちが、参政権を使いこなして政治力を身につけることなのです」 ■ ノルウェーの法律には、3年以上住んでいて永住権を持つ外国人には地方参政権がある、とある。この改正は1983年のことだった。 今では全政党の代表をミラ・センターに招待して、政策討論会を催す。ほぼ全ての政党党首がこの一室にやってくる。こんな

第121回 男性ホルモンに毒された屁理屈で戦争は始まる(アメリカ)

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1945年8月6日広島原爆、8月9日長崎原爆、8月15日終戦。8月、私たちは憲法9条を手に反戦を誓う。 アメリカの反戦運動団体「コード・ピンク」は、なかなかのやり手だ。彼女たちがつくったポスターの 「戦争やめよう、楽しいことしよう」というスローガンは、 1 960 年代の「Make love Not war」を ひねったものだろう 。 「コード・ピンク」という名も、ひねりが効いている。2001年の9・11同時多発テロ後、ブッシュ政権はアフガニスタン・イラク戦争に突入。国土安全保障局は、コードネームを定めてテロ対策に備えた。火災発生はコード・レッド、心拍停止はコード・ブルー、子どもの誘拐はコード・ピンク…。女たちは「子ども=女=ピンク」という性による色の決めつけにのけぞった。2002年、彼女たちは、「米軍侵攻は人への思いやりに対する最高レベルの危機である。思いやりには女も男もない」と宣言。危機対策の新組織をつくって、「コード・ピンク」と命名した。 女性主導の反戦運動の意義はこうだ。 「私たちは、男より女が優れているとか、純粋だとか、生まれつき養育力がある、などというつもりは毛頭ない。ただ、男たちは戦争にかまけ過ぎ。命を守ってきたのは女たちだったのだ」 コード・ピンクの最初の抗議は、ホワイトハウス前のハンストだった。「戦争は男性ホルモンに毒された屁理屈で始まる」「戦争は女性問題。戦争は女たちを家の中に子どもと置き去りにするだけ」と訴え、逮捕や収監をものともせず40日も続けた。 ■ 2003年のイラク空爆直前には、代表団5人をイラクに派遣。代表にはイラクで息子を亡くした母親、現役兵士の母親を入れた。 また、イラク人女性6人を米国に連れてきて、米軍進攻が、イラク女性にどんな影響を与えたかをアメリカ国民に知らしめた。2004年、ファルージャで、米軍が数千人の民間人を殺害したことを明らかにし、ファルージャ難民に60万ドル相当の支援金を贈った。 2009年には「Ground the Drones(ドローンを飛ばすな)」というキャンペーンをしかけた。オバマ政権はドローン攻撃の標的はテロの首謀者や拠点だと言ったが、多くの民間人が殺されていると、抗議を止めなかった。 2023年2月18日土曜日、ワシントンD.C.のレストランを急襲。食事中のバイデン大統領に向かって「お