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第121回 男性ホルモンに毒された屁理屈で戦争は始まる(アメリカ)

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1945年8月6日広島原爆、8月9日長崎原爆、8月15日終戦。8月、私たちは憲法9条を手に反戦を誓う。 アメリカの反戦運動団体「コード・ピンク」は、なかなかのやり手だ。彼女たちがつくったポスターの 「戦争やめよう、楽しいことしよう」というスローガンは、 1 960 年代の「Make love Not war」を ひねったものだろう 。 「コード・ピンク」という名も、ひねりが効いている。2001年の9・11同時多発テロ後、ブッシュ政権はアフガニスタン・イラク戦争に突入。国土安全保障局は、コードネームを定めてテロ対策に備えた。火災発生はコード・レッド、心拍停止はコード・ブルー、子どもの誘拐はコード・ピンク…。女たちは「子ども=女=ピンク」という性による色の決めつけにのけぞった。2002年、彼女たちは、「米軍侵攻は人への思いやりに対する最高レベルの危機である。思いやりには女も男もない」と宣言。危機対策の新組織をつくって、「コード・ピンク」と命名した。 女性主導の反戦運動の意義はこうだ。 「私たちは、男より女が優れているとか、純粋だとか、生まれつき養育力がある、などというつもりは毛頭ない。ただ、男たちは戦争にかまけ過ぎ。命を守ってきたのは女たちだったのだ」 コード・ピンクの最初の抗議は、ホワイトハウス前のハンストだった。「戦争は男性ホルモンに毒された屁理屈で始まる」「戦争は女性問題。戦争は女たちを家の中に子どもと置き去りにするだけ」と訴え、逮捕や収監をものともせず40日も続けた。 ■ 2003年のイラク空爆直前には、代表団5人をイラクに派遣。代表にはイラクで息子を亡くした母親、現役兵士の母親を入れた。 また、イラク人女性6人を米国に連れてきて、米軍進攻が、イラク女性にどんな影響を与えたかをアメリカ国民に知らしめた。2004年、ファルージャで、米軍が数千人の民間人を殺害したことを明らかにし、ファルージャ難民に60万ドル相当の支援金を贈った。 2009年には「Ground the Drones(ドローンを飛ばすな)」というキャンペーンをしかけた。オバマ政権はドローン攻撃の標的はテロの首謀者や拠点だと言ったが、多くの民間人が殺されていると、抗議を止めなかった。 2023年2月18日土曜日、ワシントンD.C.のレストランを急襲。食事中のバイデン大統領に向かって「お

第120回 立ち上がれ10億人の女たち(クロアチア)

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クロアチア、首都ザグレブ。2009年4月2日、夜8時。アメリカの劇作家イヴ・エンスラー本人が登場して『ヴァギナ・モノローグ』の幕が開いた。女性への性暴力根絶をめざす一人芝居だ。 ポスターに描かれているのはタンポポの綿毛ではない。ヴァギナ、女性器である。イヴ・エンスラーがクロアチアにやって来たのは、この国にラダ・ボリッチがいたからだ。このポスターを私が紹介できるのも、ラダ・ボリッチがクロアチアからポスターを持ってきてくれたからだ。 ■ 旧ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナをめぐって、1992年、国土と民心を破壊しつくす民族紛争が起きた。独立派のクロアチア人vs反独立派のセルビア人。このセルビアをNATOとアメリカが空爆する殺戮戦が続いた。 言語学者で女性運動家のラダは紛争の渦中、「戦争被害女性センター」を創設。民族や宗教の違いを超えて女たちの受け入れを決行した。そんなラダのもとにアメリカのイヴ・エンスラーから「何かできることはないか」との手紙が来た。 2人の交流は続き、90年代末、「女性への暴力が根絶される日まで運動を広めよう」と連帯の輪を築いた。それが、今に続く国際的運動V—Dayだ。VはヴァギナのV、ヴィクトリーのV。 ■ クロアチアにやって来る前、イヴ・エンスラーは、コンゴのパンジ病院にいた。後にノーベル平和賞を受賞したデニ・ムクウェゲ医師で知られる、あの病院だ。東部コンゴに埋蔵されるレアメタルを略奪して資金源にする武装勢力。彼らは、女性を殺戮・強姦し、抵抗力を根こそぎ奪う。同医師は1999年以来、心身を破壊された何万人もの女性や少女たちを無料で治療してきた。同時に、国際社会に向かって叫んできた。「あなたのスマホは、女性の血で染まったレアメタルを使っているんですよ」。 コンゴでもクロアチアでも、加害者の処罰は難しい。被害者が声を上げないからだ。必要なのは、法廷に立って加害者を告発する女性だ。ラダ・ボリッチは、女性に力をつけようと、クロアチアを超えてアルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、キプロス、ギリシャ、マケドニア、モンテネグロ、ルーマニア、セルビア、スロベニアにV—Dayを広めた。 日本にも、NPO法人「青い空」の浜千加子さんがいる。V—Dayの歌は『立ち上がる10億人』。世界の人口70億人のうちの約10億人が暴力

第119回 夏だ、女のキャンプだ、フェム島だ(デンマーク)

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6月は、日本人には鬱陶しい梅雨だが、北欧人には、1年で最も美しい心弾む季節だ。 このポスターは、6月から8月にかけてフェム島で開かれる女性たちのキャンプ参加を呼びかけている。デンマーク語で書かれているのは「新しい女性キャンプ」。40年前の1983年のものだ。 フェム島は、コペンハーゲンから電車で2時間ほどのローラン島の、さらに北方の海に浮かぶ総面積11・38㎢の小島だ。ローラン島からフェリーで1時間。光り輝く海、一面の花畑が広がる。 始まったのは、女性解放運動真っ盛りの1971年。今も毎夏、学生から年金生活者まで大勢が集まる。申し込みは3月8日の女性デーからだ。 この女性だけのキャンプを始めたのは、右下に書かれている、 Kvindehuset (クヴィンネフーセ、女性の家)に集うレッド・ストッキングズの女たちだ。女性の家は、コペンハーゲン中心部にあるビル。ここは70年代、女性たちが占拠した建物のひとつで、現在に至るまで、ダンス、音楽会、体操、映画会、講演会などに利用されている。人気のレズビアン・バーもある。 キャンプの2カ月間、女性と子どもたち(男子は12歳以下)は、電気もガスもなくて、トイレはバケツという離島で、何をするのか。 まずはテントを張る作業週間から始まる。台所用テント、バー用テント、子ども用テント、トイレ用テント、寝室用テント(4つか5つ)。何から何まで女手で行なう。 子ども週間、スポーツ週間、体と心の週間、国際週間、創作週間、ディベート週間、全員参加週間…等々。各週間にはテーマがあって、1977年の場合、「農業」「女性と暴力」「母性神話」「労働市場と女性」「演劇と音楽」「女性のフォークハイスクール」「レズビアンであること」だった。 最終の週は、ゴミを集めて後片付けをして、テントをたたんで、名残を惜しむ。 最も重要なのは女たちの連帯と解放。男性主導社会で息苦しさを感じた女性たちが、女だけの世界で、自然と一体となって過ごす。DVや失恋で心身がどん底の女性たちも、ここに癒しを求める。 キャンプの案内広告は、かつてはポスターだったが、いまはインターネットだけ。この貴重なポスターは「日本の女性たちに役立てるのなら」と、20年ほど前、オーフス女性博物館を訪れた時、館長から寄贈された。 (2023年6月10日号)

第118回 マウンティングはもううんざりだ(ノルウェー)

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このポスターは、退屈な記念写真ではない。右のノルウェー語がふるっている。 「ヴィーケン・エネルギーの取締役たちです。残念ながら、やらせではありません。ま、ガンバッテネ、男性諸君!」  ヴィーケン・エネルギーは、配電網や地域暖房事業の大企業だが、取締役の全員が男性だった。そこで、笑いものに使われてしまったのだ。 作ったのは、政府の男女平等法推進機関である男女平等センター。1990年代末から2000年初めのことだ。当時、ノルウェーでは「閣僚の4割以上が女性」は当たり前。そこに現れたのが、この「男だらけの取締役シリーズ」のポスターだった。 ポスター右下にある「女性人材データベース」は、男女平等センターが仕掛けた新プロジェクトだ。リンク先をクリックすると、女性たちの履歴、専門分野、連絡先が出てくる。人材を探す会社がポスト名を打ち込むと、たちどころに女性候補者が現れる。登録者は3000人以上。私が会った同センターの事務局長は「取締役や管理職などトップにふさわしい実績のある女性は、いっぱいいるんです」と言った。 ノルウェー経済界は、こうした痛烈パンチに見舞われて、変わった。2003年、会社法に「取締役クオータ制」が加筆され、2008年から取締役会は女性を4割にせよと命じられた。 さて、わが日本。 女性をもてあそぶメールが公開されてもなお、選挙で圧勝した神奈川県の黒岩祐治知事。確か2015年、彼は女性が活躍するための啓発事業を始めた。そのポスターは、「女性が、どんどん主役になる」とのスローガンを掲げ、黒スーツの男性11人が仁王立ち。黒岩知事を真ん中に、カルロス・ゴーン日産社長、ファンケル社長、富士通社長、横浜銀行社長、資生堂社長…。 主役どころか「脇役でもいいから安定した職に就きたい」と願う女たちの境遇などどこ吹く風の、マウンティング・イメージだ。 マウンティングとは、動物界でオスが優位性を表すために使うしぐさのこと。人間界では、男性 が「どうだ」とばかり、上から目線丸 出しで女性に接する言動をいう。 マウンティングはまだ、ある。黒岩知事を真ん中に、「女性活躍応援団」と称する男性社長15人衆が座っているチラシ。社長たちは関連イベントの講師になって壇上から社員を啓発するのだとか。 4半世紀前のノルウェーのポスターで、取締役男性たちは笑いものになるのを承知

第117回 私のパンに私が塗ったバターは私のもの(ドイツ)

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3月8日、「画期的判決」のニュースがドイツから飛び込んできた。男性より7%賃金が低いのは女性差別だと訴えていた女性が、連邦最高労働裁判所の全面勝訴の判決を勝ち取った、という。 金属会社の営業担当スザンナ・デュマは、4年前、全く同じ仕事をしている同僚男性の給料が自分より月1000ユーロ、つまり7%多いことを偶然知った。彼女は会社側に格差是正を求めた。らちがあかなかったので、ドレスデンの労働裁判所に提訴した。しかし、1審、2審とも敗訴。「賃金格差は性差別に基づくものではない。賃金交渉力の差によるものだ」とする判決だった。 ■ 2021年、エアフルトにある連邦最高労働裁判所に上告。スザンナ側は「交渉力で格差が決まるのはおかしい」と主張した。 今年2月16日、同裁判所は「男性が交渉力に優れているからといって、男女賃金格差を合理化することはできない。これは『性による差別』である」と判定した。そして「会社は彼女へ、差額1万5000ユーロと慰謝料2000ユーロ(計約250万円)を支払え」と命じた。7%の格差をゼロ%にせよと言ったのだ。根拠は、EUの男女同一価値労働同一賃金の指令と、その国内法「ドイツEU機能条約157条」だった。 離婚後3人の子を育てるスザン ナは、「勝利は娘たちと全ドイツ女性のもの」と歓喜し、「あなた のパンにあなたが塗ったバターを誰かにかすめ取られるようなことを許してはダメ!」と女たちを鼓舞した。 ■ さて、今日のポスターは、2004年夏、ベルリンで入手した。ドイツ統一サービス産業労働組合(通称ヴェルディ。専従職員3000人、組合員200万人、うち女性が100万人以上。ドイツ最大の女性組織)が作成した。ヴェルディの重要な目標のひとつである「男女同一価値労働同一賃金」を訴えている。 ヴェルディの「女性とジェンダー平等」部代表アレクサ・ヴォルフスタッターは、ポスターの趣旨について私のメールでの質問にこう答えた。 「私たちの最大のテーマは、今も昔も、男女同一価値労働同一賃金を勝ち取ることです。このポスターは2004年の国際女性デーに使われました。女たちは『男女平等機会』『年金拡充』『不安定雇用禁止』『全被雇用者への社会保障』『仕事と家庭の両立』といった旗を掲げています。20年前のテーマは今もちっとも古くない。現在ドイツの男女賃金格差は18%もあるの

第116回 賃金男女比100対75から100対83へ(スウェーデン)

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昨年12月5日、北欧と日本の女性労働に関する国際会議があった。ハイライトは、世界で最も男女格差の小さな国アイスランドのヨハネソン大統領のスピーチ。熱血フェミニストを妻に持つ、バツイチ男性だ。 「1944年の学校では、男の子なら『あなたが大統領だったら何をするか』、女の子なら『大統領の妻だったら何をするか』と質問されました。それから30年後の1975年10月某日、アイスランドの女たちは職場でも家でも働くことを一切やめる“女のゼネスト”を行ないました。女性がいかに社会に貢献しているかを男性たちにわからせるのが目的でした。このストの5年後に初の女性大統領が誕生しました」 次に、こうも述べた。 「僕 自身、5回も育休を取ったんです。女性がチャンスを奪われるということは、人口の半分が苦しむのですから、 社会全体が経済的に苦しむといえます。『育児休暇制度』や『男女同一価値労働同一賃金のための法律』は、今のアイスランドではかなり進みました。しかし、セクハラもDVもまだありますから、完璧ではありません。私たちは性差別のない社会へと、意識して、立ち向かっています」 今日のポスターは、アイスランドも加わる北欧5カ国の中で兄貴分にあたるスウェーデンの男女平等オンブズマンが2000年に作った。「男女同一価値労働同一賃金」を訴え、「女性より25%多く稼いでいるのは、どのジェンダーですか?」とある。 スウェーデンは、2008年に差別禁止法ができて、それまでの男女平等オンブズマンが差別禁止オンブズマンに変わった。性、人種、出身、宗教、障害、性的指向、年齢など多岐にわたる分野の人々の差別を禁じた。雇用ばかりでなく、社会現象の全てが対象だ。そのかいあって、男女賃金は100対83まで改善することができた。でも、アイスランドはさらにその上を行って100対89だという。大統領の意気軒昂さ、なるほどと思った。 さて、わが日本。冒頭の国際会議のパネリストの一人だった私は、OECD「世界ワースト2位」日本の男女賃金格差が縮まらないのは、女性差別のほかに非正規差別があるからだと訴えた。非正規労働者は2000万人以上で、雇用女性の54%だ。賃金は男性正職員を100とすると、女性正職員が70、女性非正規はなんと42なのだ。 私は、怒りを込めて発言した。終わってからフィンランド大使とイギリス大使館

第115回 あなたは久布白落実を知っていますか(日本)

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公娼制度とは国家公認の買売春制度だ。ギリシャ・ローマの昔から存在し、世界に蔓延してきた。 19世紀、ノルウェーの画家クリスチャン・クローグは、「警察医務室前のアルバーティン」という名画を残した。少女アルバーティンが、性病検査のため警察官に促されて医務室に入ろうとしている瞬間を描いたものだ。絵のほぼ全てを占めているのは、定期検査を受けにきた売春婦たちである。 作家でもあるクローグは、同時に小説『アルバーティン』を出版。女性が貧しさゆえに売春婦とならざるをえない社会を告発した。お針子アルバーティンは、夜なべをして一心不乱に働けど、お金は全て病気の弟の薬代に消えた。ある日、警察官に騙されて酒を飲まされて強姦される。そして自暴自棄の彼女は売春の道へ…。1886年のことだった。 小説は、道徳心を損なうとの理由で発禁処分とされた。国家の偽善に憤った1人のジャーナリストが小説の中身を街頭で演説して回った。新聞は売買春の論争を組み、絵画の人気はうなぎ登り、公娼制廃止の声は国を揺るがすほどになった。 1887年1月、労働組合、論壇、女性団体などが首相官邸前で抗議デモをした。その数5000人! 首相は公娼制撤廃に踏み切った。 40年後の1928年春。矯風会の久布白落実(1882〜1972)は、エルサレムの世界宣教会議に参加し、その足でノルウェーを訪れた。オスロの国立美術館で絵画「警察医務室前のアルバーティン」を目の前にして、その絵が人の心を動かして公娼制を葬ることになったと聞かされた。 久布白はノルウェーで、売春から脱出した女性たちが入居し、手に職をつけるホームの充実ぶりもつぶさに観察した。ノルウェーと日本のホームを比較して「ノルウェーは年3万6000円すべて公費、日本は年3000〜4000円で公費ゼロの全額寄付」と書いている。 久布白たちの公娼制廃止運動は連戦連敗。ノルウェーから帰国した久布白は、日本の津々浦々を回って公娼制廃止と女性参政権獲得に熱弁をふるった。公娼制廃止運動が盛んだった秋田県では「第1回公娼廃止大演説会」を開き、1000人を前に講演した。戦後は3度、国会議員選挙に立候補したが、全て落選。だが、運動家として、売買春禁止の法制定に奔走し、ついに1956年5月、売春防止法を誕生させた。 今日のポスターは、売春防止法制定5周年を記念して1961年に日本政

第114回 女性への暴力がなくなる日まで(台湾)

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  劇作家イヴ・エンスラーは、1996年、『ヴァギナ・モノローグ』を書いた。翌年には、ニューヨークのオフ・オフ・ブロードウェイで自らが演じる一人芝居を挙行した。これが世界を揺るがす大地震に発展した。 ニューヨーク・タイムズは「90年代の最も重要な社会派演劇作品」と評した。日本を含め140カ国以上で上演され 、トニー賞という演劇界最高の賞も取った。 イヴ・エンスラーはいう。「それまでヴァギナという言葉を口にしたことなどありませんでした。友だちも皆、何か口に出してはいけないものと見なして、『あそこ』、『下のほう』と言うだけでした」。 そこで彼女は200人以上の女たちにヴァギナに関するインタビューをして、独白形式にまとめあげた。名前すら呼ばれず隠されてきたタブー中のタブーである女性の身体の一部が、「意思に反して、さげすまれ、嘲笑され、侵入され、支配され、中絶対象にされ、妊娠させられている、これは一体何なんだ」という激しい怒りが彼女を突き動かした。 イヴ・エンスラーは、同時に国際的女性運動「V-Day:性暴力がなくなる日まで」を立ち上げた。VはViolence、つまり暴力をさす。芝居で利益が出たら、10%を彼女が受け取り、90%は上演地の運動に使うというプロジェクトだ。 台湾上陸は2005年だった。上演に尽力した女性団体「台灣女人連線」の秘書長・陳書芳によると、V-Day運動に加わって、台北の紅坊劇場で初演されて以来、ほぼ毎年上演されている。 ポスターは、初上演から10年を記念する2015年のV-Dayのものだ。「ヴァ ギナ・モノローグ」は「陰道独白」。ヴァギナは「陰道」、モノローグは「独白」。   陰陽の陰は女性を意味することから、陰道を「女性の知識」と解することもできる。中央の字を私なりに訳すと「スカートの下、すべては私のもの、私のもの、私のもの」。 2005年から2015年まで、11の都市で27回上演、観客12000人。企画に加わった「希望の庭財団」は、DV被害者たちのトラウマを治癒・克服させる目的で演劇の訓練をし、彼女たちによる専属劇団「裸足のアリス」を誕生させた。その素人俳優371人が、プロの俳優に交じって舞台で自身の体験を語ったという。 台灣女人連線の秘書長は強調する。 「女たちはいまだに性的搾取に直面しています。性暴力だけではなく、女性は

第113回 ユーモアにくるまれた怒りの芸術(ノルウェー)

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  「ノルウェーに行ってみたい」という人たちに押されて、「男女平等の母国を見に行くツアー」を企画した。20人の視察団に最も強烈な印象を与えた場所が、ノルウェー国立女性博物館だった。20年ほど前になる。 「カミラ・コレットの笑い:女性史150年」という特別展が催されていた。女性が無権利だった19世紀から、男女平等に近づいた現代までのノルウェー女性の150年を再現する芸術群だった。女性芸術家たちが創った19世紀のノルウェー家庭の光景が評判を呼んでいた。 床に這いつくばって、鍋から床に吹きこぼれる煮汁を拭く薄汚れた女性の人形。天井から黒い鉄の大きな重りがぶら下がっている。それには「女というものは何もいいことを成さない」とある。北欧に影響を与えた神学者マルティン・ルターの言葉だという。 タイトルのカミラ・コレットは、元祖フェミニスト小説家。20代で結婚したが、夫が死んで子ども4人が残った。家を売り、3人を里子に出したが、それでも貧乏から抜け出せない。そこで、かの有名な『知事の娘』を出版した。当初は匿名だったそうだ。 ■ 今日のポスターは、博物館の売店で見つけた。「そして神は女性をつくった:女性のからだと理想の美しさ」と題された芸術作品群が、全国巡回展をした時のものだ。博物館管理人のイングン・オーステブルによると、「下着から上着まで、ヘアから靴まで、女性を縛るファッションの数々が『ユーモアにくるまれた怒り』で表現されています」。 ピンクのトルソー(胴体のみの彫刻)は、博物館のあるコングスヴィンゲル市在住のテキスタイル彫刻家シッセル・モーがつくった。 女性像といえば、昔から胸と性器を隠した「恥じらいのポーズ」が定番だ。フィレンツェ・ウッフィッツィ美術館にあるボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』しかり。一方、ポスターの女性像は腰のくびれがないずん胴で、ヒップは小さく、胸も性器もバッチリだ。 かの神学者マルティン・ルターは「男のヒップは小さい。それゆえ賢い。女のヒップは大きい。だから家にじっとすわっている仕事に向いている」などという超非科学的な言葉を残しているそうだ。 ■ カーリ・ヤコブソン館長の「今日の、当たり前と思っている権利は、過去の無名の女性たちの闘いの末にあるのです。それを知らせるために、この博物館はあります」が、心にしみる。1995年に開館。198

第112回 からだは自由だ!(フランス)

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  高校教員だった頃、1人の生徒が妊娠した。妊娠中絶を選ぶという。相談に乗っていた私は、ひどく狼狽した。一緒に悩んだ。手術なら一刻も早くしないと…。手術費用のカンパが密かに始まった。 あれから40年近く経ったが、女子高生が出産直後の赤ん坊を遺棄したり、殺害したりで逮捕というニュースに接すると、教員時代を思い出す。 セックスに妊娠はつきものだから、手軽で安全な避妊や妊娠中絶が不可欠だ。ところが、世界で何年も前から普及している避妊パッチ、避妊リング、避妊注射、避妊インプラント(皮膚にはめ込むスティック)、緊急避妊ピル(モーニング・アフター・ピル)などを、日本政府はまだ承認しない。90カ国以上で使われているピル(経口避妊薬)ですら手軽に買えない。しかも高い。 それゆえ、日本ではコンドームが主流なのだが、予期せぬ妊娠は避けられない。そうなると非常時には妊娠中絶しかない。日本では「搔爬(そうは)法」という手術がなされる。全身麻酔した身体を産院の手術台に横たえ、子宮けい管を拡張し、子宮から妊娠組織を掻き出す。配偶者の同意も必要で、しかも10万円から20万円はかかる。そこで、冒頭のようなカンパとなる。 世界を眺めれば、もう「手術」から「妊娠中絶薬」に変わっている。フランスが1988年に世界で初めて採用して以来、80カ国以上の国々で普及している。安全で効果がある上、780円と格安だ(WHO)。 日本の厚生労働省も、最近やっと中絶薬を承認すると言い出したのだが、「配偶者の同意が必要だ」などという。なんたる父権主義!  今日のポスターは、妊娠中絶の先進国フランスのもの。このカトリックの国は、気の遠くなるほど長い間、妊娠中絶を禁じてきたが、1975年、厚生大臣シモーヌ・ヴェイユの提案で妊娠中絶自由化法が成立し、フランス女性の悪夢が消えた。 抱き合うからだの美しさ。フランス家族計画運動MFPFがつくった。フランス全土67市町村に支部を持ち、120の事務所で、中高生にセックスと生殖に関する権利の普及活動をしている。写真の下のフランス語は「からだは自由だ」。その下の緑のバナーは「セックス、避妊、妊娠中絶」。 楽しく幸せなセックスは避妊と妊娠中絶の自由から、とうたっている。 (2022年11月10日号)

第111回 国際女性デーの栄枯盛衰(ノルウェー)

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  今夏の参院選で、女性は候補も当選も過去最多だった。非改選を含め参院の女性議員は64人、25・8%となった。この候補の中に「性産業を法的に認め、セックスワーカーの権利擁護を」と唱えた女性がいて、ノルウェーの今年の国際女性デーを思い出させた。 ノルウェー女性の地位は世界トップクラスなのだが、それでもなお毎年、女性団体、政党、労組などによる実行委員会が、1年間会議をして方針を決め、国際女性デーに爆発させる。今年のオスロ実行委員会で激しい論議の的になったのは、セックスワーカーの権利だった。 2009年、ノルウェーは性を買う側(ほとんど男)を処罰し、買われる側(ほとんど女)を処罰しないとする法律を制定した。これが今年、賛否の渦を巻き起こした。法に反対するグループは「買う側を処罰する法はセックスワーカーの生きる権利の侵害」と主張。侃々諤々の末、「カネで性を買う行為を犯罪とする現在の法律こそ大事」とする主張が通った。承服できないセックスワーカー側はカウンター・デモをした。 ノルウェーの国際女性デーは長い歴史を持つ。1915年、ソ連の平和運動家コロンタイが、オスロの女性デーで演説した。その後2つの世界大戦があって、女性デーどころではなかったが、70年代になると盛り上がった。本連載67回のように、妊娠中絶の合法化が主なテーマだった。「産む、産まないは女性自身が決める」とのスローガンを掲げ、1978年の女性デーには、オスロに2万人を超す女たちが集まった。後、妊娠中絶合法化が達成された。 1979年、男女平等法が施行されて男女平等オンブッドが誕生。1981年、ブルントラントが初の女性首相となり、閣僚の4割以上が女性になった。1969年9%だった女性国会議員が、1987年には36%になった。そして1988年、男女平等法にクオータ制が明文化された。 女性が社会の中枢に入っていくと同時に、女性デーは勢いを失っていった。今日のポスターはちょうどその頃、1986年3月8日のもの。ノルウェー南東部の都市ハマールの女たちが作った。 タイトルは「女たちは、できる、必ず」。メスマークの円に怒りのこぶしが女性解放運動のシンボルなのだが、このポスターには肝心の怒りのこぶしがない。女性が、弱体化した女性解放運動を必死に立て直そうとしているのである。 21世紀になって妊娠中絶法改悪の動きとともに、女性デーは息

第110回 看護師と助産師に投資を(WHO)

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  新型コロナが世界に猛威を振るい始めた2年前、WHO(世界保健機関)からこんなポスターがネットに流れた。 「看護師と助産師に投資せよ、健康のため、男女平等のため、経済発展のため」 WHOは「看護師・助産師の国際年2020」を新設し、次のような提言を世界に向けて発表した。 「上司から敬意を払われていないと思う看護職36%、自分の意見に耳を傾けてほしいと思う看護職32%」 「看護職に影響を与えるジェンダー間の賃金格差を改善せよ」 「国の保健政策決定の場に、看護職の視点を取り入れよ」 ナイチンゲールが生まれて200年経ったイギリスでは、WHOの国際年に呼応してNHS(国営医療保健サービス)が様々な啓発、イベントを打ち出した。弱者に注がれる温かい眼差しにホロリとさせられる。 「助産師主導のCOVID-19緊急対応電話システムを新設する」 「(移民など)英語を使えない妊婦へ職員が出前する」 「ホームレスの患者を支援する」 「聾唖者を支える…」 当初欧米は、イタリアをピークに感染者も死亡者数も多かった。当時の麻生太郎財務相は「日本は民度が違う」などと欧米をあざ笑った。 しかし、時は流れ、日本は感染者数1879万7522人、死亡3万9604人と「世界最高水準」になった(いずれも8月31日NHK発表)。慢性的な人手不足で看護職の長時間労働が続くが、看護師の月収は、OECD平均よりも月8万円以上も低いと報道されている。 何より、政策決定の場にいる女性の少なさは、驚愕ものだ。コロナ関係だけを見ても、日本感染症学会理事18人の全員が男性。厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の12人のうち女性は2人。厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」18人のうち、女性は2人。内閣官房「新型インフルエンザ等対策有識者会議 新型コロナウイルス感染症対策分科会」の16人の中でも、女性はたったの2人なのである。 イギリスで助産師をする小澤淳子さんは言う。 「日本では、陽性の女性が、他に理由もなしに帝王切開されています(陽性女性の帝王切開率65%以上)。陽性になる前に出産をと陣痛誘発を受けさせられています。女性が陽性の時に生まれた赤ちゃんは母子分離をさせられます。WHOなどが、母子分離は母親や子どもへの弊害が大きいので反対声明を出しているというのに、です。女性のからだに

第109回 スカートをはいた女が医者になった(フィンランド)

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  ポスター「スカートゆえに」の女性はロージナ・ヘイケル。フィンランド初・北欧初の女性医師だ。 1842年、フィンランドのヴァーサで生まれた。子どもの頃、父を亡くして家庭は困窮。17歳で学校を中退せざるを得なかった。一方、医学の道に進んだ兄2人は、学問を続けた。兄たちのように医師になりたかったロージナは、夢を捨てきれなかった。が、当時のフィンランドには女性を受け入れる大学などなかった。 でも彼女はあきらめない。隣国スウェーデンのストックホルム体操研究所に入学し、理学療法を学んで帰国した。ヘルシンキ公立病院で産婆コースを修了。再びスウェーデンに戻ると解剖学・生理学を学んだ。 1870年、ヘルシンキ大学は遂に聴講生ならと彼女を受け入れた。翌年、彼女は医学部への特別許可を与えられたのだが、女性が解剖実験をすることは「不適切」とされていた。そんな彼女を、解剖学のジョージ・アスプ教授が助けた。教授自身の研究室で、特別に彼女に解剖の実験をさせた。 1878年、ロージナは外科、内科、眼科、病理学の試験に全て合格。医学部を卒業した。35歳だった。彼女の医師資格は法的に正式なものではなかったが、故郷ヴァーサで個人医院を営んだ。1882年、反対の嵐の中、女性と子どもだけを診ることを条件にヘルシンキ地区管轄医師となった。1884年、医師会はやっと彼女を会員にした。 ロージナは熱心な女性解放運動家だった。女子にも男子と同じ教育を与えよと説き、男女同一労働同一賃金を唱えた。1888年、医師会で、公娼制反対の演説をぶった。女学生に奨学金を付与する団体を立ちあげた。フィンランド初の女性解放運動団体創立にも尽力した。 日本のロージナこと荻野吟子は、1851年、熊谷市に産まれた。彼女が医師となったのは1885年。ロージナと同じ30代半ばだった。 18歳で結婚するが、夫から淋病を移されて離婚。男性医師による治療の屈辱から「女医になる」と決めた。医術開業試験の願書を毎年出しては断られ続けたが、1885年、遂に受験が許可された。もちろん合格。日本最初の公認女性医師が誕生した。ロージナ同様、熱心な女性解放運動家でもあり、日本キリスト教婦人矯風会に入会して公娼制反対を訴えた。 それから140年余り。いまフィンランドの女性医師は全医師の58・3%。日本は20・3%。日本の女性医師の割合はOECDの中で最も少ない

第108回 女性解放の先輩ロシアの堕落(ノルウェー)

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今から20年ほど前のノルウェー訪問のことだった。若い頃、女性解放運動家だった国立大学図書館館長マグニ・メルヴェールは、昔のポスターを探し出してきて私の前に広げた。 「これ、子どもを抱えたスカーフの女性がシンボリックで、ロシアのポスターのように見えます。でも70年代のノルウェーのものです。ノルウェー語で『女たちよ、メーデーでは女たちの要求をすべきだ』とあります。あの頃まで、女性運動はロシアが確かにノルウェーの遥か先を走っていたのです」 ロシア革命を指導したレーニンは1918年、憲法で女性の権利を定めた。女性は男性と同様に雇用され続ける権利も認められた。公立保育園も整えられた。妊娠中絶も合法化された(スターリン時代は再び禁止)。国際女性デーは1913年に始まって、1922年から国民の休日になった。 こうしたソ連の家族政策の礎を築いたのが、平和運動家で革命家のアレクサンドラ・コロンタイだ。彼女は、革命前、北欧諸国を渡り歩き、スウェーデンではその過激な反戦思想ゆえ逮捕されたという。後にノルウェーに滞在し、その労働運動に多大な影響を与えた。 革命後は祖国に戻って女性初の閣僚に着任したが、政権から外されてノルウェー駐在大使としてノルウェーに1930年まで住み続けた。女性としては世界初の大使だった。 ノルウェーの女性参政権は1913年だからソ連より4年早いのだが、ソ連より早かったのはこの参政権だけ。1939年までのノルウェーでは、雇用主は女性が結婚したらクビにすることができた。妊娠中絶は1978年まで違法だった。 60年代、ノルウェーの女たちはどっと職場に躍り出たものの、保育所は5%ほどの狭き門。女たちは自治体に要求をつきつけ、地方選挙に立候補した。女子学生や若い女たちは、新しい団体を次々に作っては妊娠中絶合法化に向けて戦闘を開始した。 労働党や左派政党の女たちは党内の男性主導体制と闘った。1965年、労働党の政策方針に初めて「男女平等の推進」が記された。この頃のノルウェーの女たちが、レーニンやコロンタイの国を憧れのまなざしで見ていたのも無理はない。 今やノルウェーは世界屈指の男女平等国となった。 かつて「鳩」(平和)と「子どもを抱えて働く女性」(家族政策)で北欧女性に強烈な影響を与えた隣国ロシアは、紆余曲折あってスターリンの恐怖の大粛清時代を通り、さらに曲折を経てプーチンの時代

第107回 北欧モデルを今こそ!(イギリス)

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「セックスを買う行為は男性をさらに暴力的にする」「売買春は女性をモノ化する」。 買春処罰を求める英国の運動体「北欧モデルを今こそ!」*は、こんなスローガンを掲げたポスターを作った。 北欧モデルとは「セックスを買う行為を犯罪とする一方で、買われる側の人々(多くは女)の罪を問わず、そこから抜け出すための支援をする」という法律だ。スウェーデン(1999)、ノルウェー(2009)、アイスランド(2010)、カナダ(2014)、北アイルランド(2015)、フランス(2016)、アイルランド共和国(2017)、イスラエル(2019)が施行した。EUも立法を促す議決をした(2014)。 私の知るノルウェーでは「買春処罰」はウン十年間も議論が続けられてきた。女性2人ペアになった命がけのアクションが忘れられない。1人が客と買春交渉をしている時、もう1人が客の車体に型抜きスプレーで「買春しようとした男」と書いて撮影。新聞社は写真をデカデカと掲載し「オスロは安心して買春できる町ではない」とコメントをつけた。そのあと女性議員が超党派で買春処罰法案を出した(否決)。 80 年代のことだった。 2000年代、ナイジェリア移民のオスロ市内での売春が社会問題になった。女性や子どもの人身売買・性搾取に関する「パレルモ議定書」を批准した頃であり、貧困・格差とつながった。世界初のスウェーデン買春処罰法も刺激となった。こんな買春反対の空気をキャッチしたのは、小政党の左派社会党や中央党だった。 2008年、左派中道連立政権(労働党・中央党・左派社会党)は、女性が過半数を占める内閣で「買春処罰法」を成立させた。「国内外で性的サービスを買うことは違法、性的サービスを売ることは合法」「性的サービスを売る人から利益を得ること、場所を提供することは違法」「性的サービスの宣伝は違法」等が明記されている。 さて今、日本では、AV(アダルトビデオ)出演による性被害が深刻な問題になっていて、4月に突如、自公与党からAV新法案が飛び出し、瞬く間に衆院を通過した。条文には「撮影時の性交・性的虐待禁止」はない。「性交を合意させる契約は無効」もない。あるのは「撮影時、性交を強制してはならない」である。 その道のプロから言葉巧みにスカウトされた女性たちは、契約書に“自らすすんで”サインする。屈辱的性行為を撮影された動画はネットで世界に

第106回 「ウクライナのためのクラクフ」の女たち(ポーランド)

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ポーランドのクラクフは、ロシアの軍事侵攻以来、ウクライナ女性たちが身を寄せる世界一の「ハブ港」となっている。フェイスブックページの「ウクライナのためのクラクフ」はメンバー3万5000人。助けを求める声、助けますという声であふれ返る。 「大家族向きの家を数カ月間、無料で貸します。数家族一緒でもOK」 「キエフから車で逃れてきた数人をアパートに泊めています。近くに無料駐車できる所ありませんか?」 「先週まで住んでいた所を出なくてはいけない女性がいます。一家は5歳の息子と祖母、猫1匹(おしっこのしつけ済)。彼女の仕事はITなのでネット環境必須」 「戦火で家族全員を失い、犬4匹(1匹は足に怪我)と生き延びた女性を泊めています。彼女も足を撃たれましたが、車を押して犬と散歩したいそうです。乳母車または似た車を求む」 「2組の母子を預かっていますが、もう1組受け入れOKです」 こんな切実な投稿を読んでいたら「クラクフは女だ!」という巨大なポスターを思い出した。クラクフを訪問した3年前の春、広場に貼られていた。目を奪われた私は、市役所に駆け込み、受付で「あのポスターは何ですか?」と聞くと、担当した職員を紹介してくれた。 「昨年(2018年)は、ポーランド女性参政権100周年。クラクフの有名無名の女性たちを知らせるポスター展を企画しました。今年も女性デー前後の数カ月間、広場に展示しているのです」という。   クラクフ女性センターを訪ねると、所長は「女性参政権なら、クラクフ郵便局職員のヴワディスワヴァ・ハビヒトを忘れてはなりません」と教えてくれた。 「ハビヒトは1903年、女性職員のための生活協同組合を立ち上げ、1911年から女性参政権運動に力を入れて、1918年の女性参政権獲得に貢献しました。でも実は、彼女を有名にしたのは参政権より、独身女性が安心して住める安価な住居を造ったこと。働くシングル・ウーマンのために集合住宅を誕生させたんですよ、第一次大戦より前に。『忍耐と連帯と』が彼女のモットーでした」 かつてロシアなど強国によって国を奪われてきたポーランド。母国語すら使えなかった時代、ポーランド民族の命綱は「非合法運動」だった。キュリー夫人で知られるノーベル物理学・化学賞のマリア・スクウォドフスカが通った学校も、個人の住宅を解放してつくられた「非合法学校」だったという。 難民たちに住ま

第105回 プーチンは究極のDV男だ(ウクライナ)

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2月24 日、ロシアのウクライナ侵略が始まると、隣国ポーランドのスワヴォーミラ・ヴァルチェフスカは直ちにウクライナ国旗をつけた顔写真を世界に発信した。 彼女が館長を務める「クラクフ女性センター」を私が訪問したのは3年前の今頃だった。以来ネットでおしゃべりを交わしてきた。2月24日以降、彼女のフェイスブックは、ウクライナ救援情報であふれかえっている。   今日の1枚は、首都キエフ在住のイーナ・コーノノヴァが2月25日に投稿した写真である。 「投稿」を、英語でPOSTという。だから、これこそが本当のポスターだ。イーナは、ロシア襲撃後、「パニックになるより創造力を」と、ガムテープでガラス窓の修理にかかった。「戻れる日まで、このままにしておきます」と写真を撮った。それが遠い日本の私にまで届いた。胸がつぶされそうになった私は、イーナに直接そのことを伝えた。   この写真は、女性運動家たちにはデジャヴ( déjà-vu 、既視感)だ。そう、DV夫によって破壊された家具調度を妻が修理した後とそっくりなのだ。DV男は、自分だけが偉く正しいと思い込んでいる。言う事を聞かないやつは、徹底して力でねじふせる。自分の暴行を正当化するためなら、平気で嘘をつく。自分の悪業を他人のせいにする。自分こそ被害者と言いつのる。 プーチンこそ究極のDV男だ。   数日後、イーナは、娘夫婦とその幼い子ども総勢5人で、友人宅の地下シェルターに逃げ込んだ。 「死に直面していますが、ありがたいことに生きています」 「ああ、私たちの空、私たちの大地、私たちの祖先。でも、私たちの子孫は私たちが生き延びることにかかっています」 「夕べは食欲がなく何一つ食べられませんでした。これで無理なく痩せられます」 「ル・シルポ(キエフのスーパーマーケット)やカフェ…。また、あの日常が戻ってくるはずです」   一方、ポーランドのスワヴォーミラは、私にこう書いてきた。 「ウクライナからポーランドに逃れてくる人たちの多くは、クラクフにやってきます。3月10日には30万人が到着。クラクフは貧しい人たちも多い町ですが、自分たちの家に招き入れ、部屋を提供し、温かい心を捧げています。私は、クラクフを誇りに思います」   ポーランドは 80 年ほど前、ナチスドイツに蹂躙され、耐えに耐えた。そのうえ女性は家父長制のもとで「もうひとつの闘い」にも耐