第78回  女は黙らない!(南アフリカ)


 ノルウェー初の女性の政党党首ベリット・オースの呼びかけで、2003年夏、国際会議「世界の勇気ある女たち」が開かれた。世界各国から反戦運動家や女性運動家がはせ参じた。南アフリカからは、プレグス・ガーヴェンダー(1960~)がやってきて、こんな発言をした。

「昨年、私は政府予算案に反対して国会議員を辞めました。若い女性を中心に何百万人もが苦しむHIV/エイズに予算を回さずに武器に使うなんて許せません。しかも武器の犠牲者は女、子どもたちですよ。でも、反対は私1人でした」

私は南アについて深く知らなかったので、「あのアフリカ国民会議ANCに反対したのですか?」と聞くと、「そうです。反アパルトヘイト運動で国家に抵抗し、次は、自らの政党に抵抗しなければいけなくなったのです」

南アのアパルトヘイトを合法的に許してきたのは、小選挙区制選挙による一党独裁政治だった。1994年、小選挙区制に代わる比例代表制の下で初の全人種選挙が行われて、ANCが圧勝。ネルソン・マンデラが大統領に就任した。クオータ制が実行されたのでプレグス・ガーヴェンダーも国会議員に選ばれた。99年に再選。フェミニズムに根ざした彼女の発言は、国を越えて知られるようになった。

今日のポスターは、そのプレグスが20代の頃、先輩諸姉8人とともに創刊した雑誌『SPEAK(声をあげよ)』の編集部が作った。

これがいつ作られたかは不明だが、女性への暴力反対キャンペーンだったことは旗からわかる。スカートの絵柄には「(殴ったら)ただではおかないぞ」のプラカードも見える。

長年、アパルトヘイトによる人種や階級で分断されてきた南ア。女たちは、家でも家父長制で痛めつけられ、幾重もの抑圧を耐え忍んできた。そしてついに、女による女のための女の雑誌『SPEAK』が1982年、ダーバンで産声をあげた。

199394年は、生まれて初めて投票する非白人、とりわけ字を読めない女たちへの選挙指南に力を入れて、投票率アップに貢献した。

2020年1月1日

 

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