第70回 〝男の国〟に抗う女性活動家たち(ハンガリー)


 2019年3月、ハンガリーのブダペスト。ドナウ川東岸にある「中央ヨーロッパ大学」を訪ねた。アジア・アフリカ系、アラブ系、ヨーロッパ系…多彩な学生たちが行きかう国際色あふれる大学だった。構内で、市民運動団体が一堂に会して活動を披露するイベントをしていた。

吹き抜け天井の建物の一角に、「ヨーロッパ・ウィメンズ・ロビー」のレーカ・サフラニがいた。EUの男女平等政策をハンガリーに浸透させる運動をしている。ハンガリー紙幣を大写しにしたポスターが目に飛び込んできた。

「傑出した女性がこんなに大勢いるのに、紙幣は全て男性。これがハンガリーです」

ポスターの左側は本物の紙幣。右側は想像上の紙幣だ。よく見ると、右側の金額はすべて左側の8掛けではないか。ポスターは、「女性の賃金は男性の賃金の80%にすぎない」と語りかけているのだ。

ハンガリー史に名を残す女性活動家の筆頭といえば、右側一番上の400フォリント紙幣のロージカ・シュヴィンメルだ。

1877年、ユダヤ人家庭に生まれ、簿記をしながら貧しい一家を支えた。20代で「全国女性事務員の会」と「ハンガリーフェミニスト協会」を創設し、30代で「国際女性参政権連盟」の役員、フェミニスト誌『女性』の編集委員となる。

その後、新聞社のロンドン特派員にして、国際女性参政権連盟の広報部長。第一次大戦勃発に憤り、渡米してウィルソン大統領に停戦のための中立国からなる平和調停会議開催を直談判した。「女性平和党」を創設。

1918年の祖国独立後、スイス大使になるが、共産党政権ができると党を批判した罪で市民権はく奪・国外渡航禁止処分。ウィーンに逃亡してアメリカへ再上陸するが「ボルシェビキのスパイ」と誹謗中傷される。損害賠償訴訟を起こしたものの、最高裁で敗訴。めげずに女性と平和にまっしぐら。第二次大戦後、ノーベル平和賞候補と言われたが、1948年に死去した。

帰国前夜、「現代のロージカ」アントニア・バロウズと会った。共産主義体制崩壊後の女性運動をけん引したフェミニストだ。

舌鋒は鋭かった。

「若者の半数は絶望して国外に出ています。首相は、『子どもを4人以上産んだ女性を生涯無税にする』と言い出した。トランプより先に移民排斥のため国境に壁を造って人口流入にとどめを刺しておいて、ですよ。政府はフェミニスト嫌い。ジェンダーを教える学科の予算をカットし、教員は無報酬です。私も、その1人。最悪なのは、自由で開かれた『中央ヨーロッパ大学』を潰そうとしていることです」

2019年5月10日 

 

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