第67回  私のからだ、私の権利、私の一票!(ノルウェー)


 昨夜、ノルウェーからニュース2つ。

1つは少数与党だった保守連立政権にキリスト教民主党が加わって多数派の新政権になった。もう1つは、マイナス15度の寒空のもと、その新政権に抗議する女性ばかり200人ほどのデモ。

「現政権はキリスト教民主党を入れるために『妊娠中絶を制限する法改正』で取引した。私のからだ、私の権利、が脅かされている! 秋の選挙では容赦しない!」

このニュースで、40年前の国際女性デーへの参加を呼びかけたポスターを思い出した。

熱気あふれるオレンジと黄色、怒りの鉄拳メスマーク、「妊娠中絶の自由を!新中絶法はまやかしだ。もっと安く入れる保育所を!女の職場を奪うな!」の太い文字。

60年代まで、妊娠中絶は、ノルウェーでは違法だった。

出産が学校中のスキャンダルとなって退学させられた10代の少女。在学中に妊娠がわかり海外で中絶手術をしたのち、罪悪感から自殺した高校生。娘の妊娠を知った母親がハンガーで中絶をしたため妊娠のできない身体にされた若い女性

1964年、妊娠中絶の新しい法律が施行された。医学的に必要だったり、犯罪の被害者だったりした場合、夫の承諾があるケースに限って、医師2人が中絶の是非を判定した。これに対して、「なぜ医師2人に女性の未来をゆだねるのか」との怒りが噴出し始めた。

70年代になると、町に繰り出して声を上げる女たちが増えた。「産む、産まないは女性自身が決めることだ!」。中絶合法化をすすめる女性団体がいくつも生まれた。

労働党と左派社会党に属する医師や医療保健専門家たちは、妊娠中絶合法化をすすめる団体を創った。のちにノルウェー初の女性首相となった医師グロ・ハーレム・ブルントラントは、その代表だった。

一方、キリスト教民主党を中心にした中絶反対派も勢いづいた。「彼女らは危険だ。望まれない人を死に追いやったナチと同じだ」とまで言った。

1977年の国政選挙は、妊娠中絶の是非が争点になり、中絶合法化を唱えた労働党と左派社会党が勝った。翌1978年、国会で妊娠中絶は合法となった。

2019年秋はノルウェーの統一地方選だ。「私のからだ、私の権利」とデモをした女たちの声は、どう反映されるだろうか。

 2019年2月10日

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