第66回  100万人の女のゼネスト(ドイツ)

火あぶりにされて絶叫しているようにも、長い眠りからさめてノビをしているようにも見える。

4半世紀前になるが、ドイツで「女のゼネスト」が行なわれた。ベルリンの壁崩壊から4年ほどたった1994年3月8日、国際女性デー。女たちは、ドイツ全土で異色のストライキに打って出た。その数100万人以上! 

その歴史的大事業に使われたのが、このポスターだ。

出勤拒否。子どもの世話放棄。ベルリンの連邦議会前では「218条(制限つき妊娠中絶)反対」の雌たけび。ケルン大聖堂前ではレズビアンがキッスとハグ。ミュンスターでのチラシには「セクハラ男はまだ卑猥なことやってる?」「『しつけだ』と叩かれたりしていない?」「強かん裁判で『あなたも楽しんだのでは』と聞かれなかった?」

旧東ドイツ最大の港湾都市ロストックでは、解雇された女性1400人の悔しさを乗せた1400個の風船。ドイツ最高峰のツークシュピッツェ山頂には、「もうたくさんだ! 北から南まで全ドイツは、最高峰の女たちの手中にある」の横断幕。

「女のゼネスト」のきっかけは、東西ドイツの統一だった。統一は、旧東ドイツの女たちから雇用を奪った。低家賃の住宅、保育所・幼稚園・学童保育の完備、有給育児休暇、シングルマザーへの優遇策、合法的妊娠中絶…東で当たり前だった全てが崩壊した。東の女たちは、西側に押し寄せて、限られた職の奪い合いが始まった。

「これはおかしい」と女たちは思い始めた。「'75アイスランド、'91スイスの女たちにならってゼネストをしよう!」。6人で立ち上げた「ストライキ委員会」は、女性団体、教会、国や地方の女性政策部、女性学研究者、女性議員、ドイツ最大の労組全国100以上に増えていった。

「女のゼネスト」の目標は「パンもバラも」だった。パンは最低限の賃金や住居の象徴、バラは仕事と私生活を両立させて尊厳ある暮らしを送ることの象徴。1912年、アメリカの繊維工場で働く移民女性たちがストをしたときの有名なスローガンだ。古くて新しい、世界共通の、女たちの叫びでもある。

2019年1月1日

 

 

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