第29回 やつらを通すな!(ノー・パサラン・ネットワーク)
「ノー・パサラン! ノー・パサラン!」。安保法案に反対する若者たちが口にした、「やつらを通すな!」という意味のスペイン語だ。
「ノー・パサラン」は、スペイン、フランス、イギリス、ニカラグア、コロンビア、コソボ、エストニア、ロシア、香港…世界を駆け巡って、圧政に反対する抵抗運動のスローガンとして使われ続けて、今に至っている。日本で使われ出したのは、安倍政権が台頭したころらしい。
この言葉を私に教えてくれたのは、パリの女性団体「ペネロぺ」だ。2003年、日本の女性運動についてスピーチしたお礼に頂戴したのがこのポスターだった。
「セクハラは、もうたくさん!」「嫌がらせも、もうたくさん!」「搾取も、もうたくさん!」「私たちは、自分たちの意志で、手に入れたいものを手に入れる」というフランス語が並ぶ。
私は、右下に描かれたイラストに目を奪われた。メスマークつき握りこぶしが「ノー・パサラン!」と叫んでいる。
「ノー・パサラン!」は、ポスターをつくった団体名でもあった。ファシズム、性差別、人種差別、資本主義などあらゆる差別と搾取に抵抗して、社会革命をめざす。1984年、極右の台頭をきっかけにトゥールーズで誕生した。本部はパリのボルテール通りにある。
「ノー・パサラン!」の起源は古い。
1936年7月18日、フランコ率いる反乱軍がスペイン領モロッコで武装蜂起し、マドリードに侵攻した。
ただちに、共産党の女傑で国会議員のドローレス・イバルリは、ラジオ・マドリードで「ファシスト軍に立ち向かおう。自由のために、民主主義のために」とスピーチし、こう締めくくった。
「反ファシストの同志よ、共和国の人々よ、万歳! ファシストを通すな! やつらを通すな!」
彼女の訴えは人々の心をわしづかみにした。そしてスペイン内戦が始まった。
マドリード市民は、彼女を先頭に、バリケードを築いて徹底抗戦を続けた。
フランコ反乱軍にはドイツ、イタリアがついたが、人民戦線にはイギリスもフランスも支援の手を差し伸べなかった。世界の同情が集まり、フランスをはじめ50カ国以上から若者たちが義勇軍として参戦した。合言葉は「ノー・パサラン」。
だがマドリードは陥落、ドローレス・イバルリはフランスに亡命。当時、フランスでも非合法だった共産党の手でパリにかくまわれた。
彼女は1977年に母国に戻り、国会議員に再選された。82歳であった。
2015年10月10日
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