第15回 後戻りのない道(アフガニスタン)
1人の女性の顔が描かれた旗。握り拳を天に突き上げる女性たち。その背後の真っ赤な色は太陽か火炎か。いや血しぶきのようでもある。
旗の女性の名はミーナ(1956~1987)。アフガニスタン女性解放運動の象徴だ。
ミーナは、1977年、カブール大学在学中に女性解放団体RAWAを創設。「女性の権利、民主主義、自由」の3つのモットーを掲げ、戦争とイスラム原理主義に反対し、男女平等と社会正義の祖国をつくろうとした。
ミーナは、当時アフガニスタンを軍事支配していたソ連とその繰り人形と化していたアフガニスタン政府を公然と批判した。デモを組織し、数えきれない集会や勉強会を企画し、同志を増やした。
ミーナたちは、何百万人ものアフガニスタン人が逃れるパキスタンの難民キャンプにも足を運び、病院や孤児院や識字学校を設立した。さらには、難民女性たちが働けるようにと、看護などの職業訓練校もつくった。
次にミーナは雑誌『女性のメッセージ』を創刊し、声なき声を拾い上げ、活字を通してアフガニスタン女性の意識啓発に打ち込んだ。
アフガニスタンの識字率は、よく見積もっても男20%、女5%以下と言われる。しかしイスラム原理主義は女性の人権を認めない。女性が外で仕事をすることは厳禁。女性に教育を施す活動などは最大の攻撃目標だ。が、ミーナは脅迫や嫌がらせにも、ひるまなかった。そしてRAWA創設10年後の1987年、何者かに誘拐され殺害された。享年30歳。
ミーナがつくったといわれる詩を、私流に訳してみた。
私は目覚めた女
私は焼き殺された子どもたちの灰が飛ぶ嵐
私は兄弟姉妹が流した血であふれる小川
崩れおちたわが村が、敵への憤怒をかきたて
祖国の怒りは私を奮い立たせる
ああ同胞よ、もう私を臆病者と見てはいけない
私の声は幾千もの女たちの怒りの声
私の拳は幾千もの友の拳
隷従者の苦しみを解消するために
私は目覚めた女
私は歩む道を見つけた
後戻りのない道を
アフガニスタンでは、この4月、大統領選と地方選挙があった。
投票した700万人の3分の1が女性だった、と報道された。ミーナが命がけで播いた種は確実に育っている。
ミーナの精神は、RAWAを通じて世界中に広がっている。日本でも、映像ジャーナリスト川崎けい子さんが「RAWAと連帯する会」を結成し、支援を続ける。
2014年5月10日
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