第14回 グローバル化より女の権利だ!(マレーシア)
いまジャンボ機失踪で世界の視線を集めているマレーシアで1998年11月、APECが開かれた。そこにときの声があがった。
「女たちよ、グローバル化に反対し、女性の権利を主張しよう!」
ピンクの下地に、さみどり色の力強い文字が浮かぶポスターは、APECに反対するための国際女性会議を呼びかけたものだ。
APECとは、アジア太平洋経済協力の略だ。アジア太平洋地域の21の国や地域で構成され、「持続可能な成長と繁栄」を唱える。貿易や投資の自由化をすすめようという政府間組織で、加盟国が持ち回りで、年1回会議を開く。
グローバル化は、繁栄する都会と貧しい田舎の格差を一層広げる。農民はより貧しくなり、少女たちが都会に売られる。企業の使い捨て労働者にされる。個人宅の住み込み召使としてこき使われる。はては観光客相手の売春……。
マレーシアは、マレー人、中国人、インド人による多民族国家だ。多数派のイスラム教徒に、仏教、キリスト教、ヒンズー教が混在する。家父長制の伝統は強固だ。小選挙区制のためだろう、女性の政治参加は日本と同様に低迷している。しかも政党は民族ごとに分かれていて、普通は民族代表が候補者になる。だから候補者の多くは男性だ。
そんなマレーシア社会で、1990年代後半、女たちが動き出した。女性運動家たちは、1995年北京の国連世界女性会議で強調された「女性差別撤廃条約順守」を盾に、女性を差別する国内法の改正に乗り出したのだ。当然、流れは「国会に女性を」となった。
1998年夏から秋にかけて、女たちは、民族と宗教を超えた会議を何度も持った。「変化を求める女性アジェンダ」が決まった。
女性問題は社会・政治・経済の問題である。女性が国会にいない限り、女性問題が政策化されることはない。だから女性議員を増やそう、と狼煙をあげた。
翌年の国会議員選挙に女性運動家が無所属で立候補した。小選挙区制の壁に阻まれはしたものの、獲得した2万6000票は、女たちを勇気づけた。
マレーシアの女たちがAPECに反対する国際会議を開いたのは、この年だった。
女たちの異議がAPEC本部に伝わったのかどうか定かではないが、翌年からAPECに女性の声が反映されるようになった。
2010年のAPECは、日本で開催された。ホスト役の中山義活経済産業省政務官は、「日本人女性は家庭で働くことを喜びとしているし、それが文化になっている」と発言した。
世界21カ国から集まった女性企業家330人を前にしての妄言だった。
2014年4月10日
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