第12回 国を救ったのはオンナたち(アイスランド)
今から20年ほど前の1994年5月30日、ノルウェーにいた私は「レイキャビクに女性市長誕生」のニュースを知った。翌31日、航空券を買い、6月1日にはレイキャビク空港に降り立った。
当時のアイスランドは、大統領、最高裁長官、国会議長が女性だった。首都のシンボルまで女性になった。しかも新市長は“女性だけの政党”の政治家で、長期保守市政を破ったという。
アイスランドの女性党は左派で、正式名は「女性リスト」。アイスランド語でKvenna Listinnという。政治・社会のあらゆるところに女性の声を反映させ、私生活を大切にして家事育児など義務的仕事を男女で分け合う、など明快な目標を掲げる。フェミニスト党と呼ぶ人もいる。
選挙の余韻がまだ残る女性党事務所で、新市長インゲビョルゲ・ギスラドッティルに会った。40歳、2児の母でフェミニスト誌『ベラ』編集者。レイキャビク市議の後、1991年、国会議員に初当選した。その国政選挙で使われたポスターが事務所の壁に貼られていた。今日のポスターは、新市長から直接いただいた記念すべき1枚だ。「女性リスト、レイキャビク地区、1991年」とある。彼女の顔が全候補者36人のトップにある。
「70年代、私たちは女性の権利を求め、議会の外で運動を続けました。80年代、女性解放運動の延長で国や地方の議会に入り込み、政策に女性の声を反映させました。90年代には行政権力を獲得し始めた。今の私のポストは、女性運動が新しいステージに入ったことの証明です」。
女性だけの顔が並ぶポスターを見ながら、「男性党」だらけともいえる日本の選挙ポスターを思った。それにしても、10年ほど前に創設された女性だけの政治集団が、どうして、保守党の現職市長(男)を破ることができたのか。
「これは女性党の勝利ではありません。長年、市長を出してきた保守党に対抗するために、4つの野党が共闘して統一リストをつくった。それが勝因です」。
アイスランドの選挙は、他の北欧諸国と同様に比例代表制だ。市長は、市議会議員選挙で過半数をとった党派から選ばれる。ギスラドッティルは、統一リストの8番目に登載されたが、野党4党は選挙前に「野党が勝てば彼女を市長にする」と合意していたのだという。女性党よりも歴史の古い政党もあるのに、なぜ、女性党から市長を出すと決めたのだろう。彼女の答えはこうだ。
「レイキャビク市は、60年間も保守党の独壇場。市役所では、保守党系でなければ重要な役職につけないし、役人は市民を見ずに保守党のほうばかり見ていた。女性党は歴史が浅いから腐敗政治に加担した経験がない。それで、政治を浄化してくれるのは女性党の女性政治家たちだ、と期待されたのです」。
女性党は1998年、他政党と社会民主同盟を創設して解散した。これに賛成できない党員たちは緑の党に流れた。社会民主同盟は1999年の国政選挙以来、常に30%前後の票を獲得し、アイスランドのかじ取りをしてきた。2008年の世界金融危機で経済破綻に陥った国を救ったのも、この政党の女性政治家たちだという。未曾有の経済危機で、当時の首相は福祉予算削減を表明。しかし、失業保険や年金を扱う社会問題大臣ヨハンナ・シグルザルドッティル(女)は、これに強く抵抗して国民の喝さいを浴びた。首相は辞任。社会問題大臣の属する社会民主同盟は緑の党との連立に合意。副党首シグルザルドッティル社会問題大臣が初の女性首相に就任した。
2010年1月、政府は銀行への公的資金投入を提案した。ところが、国民は、国民の税金で銀行を救済することに猛反発。抗議やデモが頻発した。「ウォール街占拠運動」より2年も前だ。こうして2010年3月、国民は、国民投票で、政府の公的資金投入を圧倒的票差で否決した。
おもしろいのは、「経済危機を招いた一因は男性型経営」という考えが国民に浸透したことだ。「男たちがめちゃめちゃにし、女たちが片づける」といわれた。内閣は、国有化されたランズバンキ、グリトニル両大手銀行の新CEO2人を、女性にした。女性党は解党したが、党の精神は脈々と息づいている。
2013年12月10日
コメント
コメントを投稿