第10回 女が一番!(イタリア)
ローマはどこを歩いても、2000年以上も昔の遺跡が目に飛び込んでくる。街全体が考古学博物館そのものだ。そんな世界遺産の景観を損なわないように、街のポスターはかならず、決められた公共掲示板に貼られている。
その掲示板「SPQR(Senatus Populusque Romanu元老院と市民の皆さん)」は古代ローマ時代から使われているのだという。
その1枚に、私の目は釘付けになった。「女が一番!」と書いてあるではないか。「女が一番」にあたるイタリア語は「プリモ、ドンナPrimo, Donna」。イタリア語に通じていない私にも強烈なインパクトで迫ってくる。頭文字PとDの2文字が大きな赤で躍る。
PDには、もうひとつ意味がある。
私がローマに滞在した2007年7月、イタリア政界に出現しようとしていたのが旧イタリア共産党の流れをくむ新左派勢力「民主党」、イタリア語でパルティート・デモクラティコPartito Democratico。その略称がPDなのだ。すでに党規約を決める委員会の45人の委員が決まっていた。ローマ市のワァルテル・ヴェルトローニ市長や、ロージ・ビンディ家庭大臣が党首候補に名乗りをあげたことが大きく報道されていた。
新「民主党」PDは、同年10月14日、ミラノで結成大会を開いて、正式に誕生。
このポスターは、新党PDの政治集会への参加を、女性たちに呼びかけたものだ。新党PDの結成プロセスにおいて、「女が一番」にあたるPDにかけて、女性の力を前面に出そうという意図が込められている。
興奮気味にポスターを見つめる私の横で、友人のイタリア人はこう言った。
「12年前のオリーブの木(中道左派連合)の結成のとき、私たちはもっと燃えた。それというのも、市民が声をあげて党首候補を絞っていくというプロセスを踏んだからです。今回は、ローマ市長が自ら手をあげてしまった。そして彼に決まったかのようにメディアも報道する。これでは民主的なプロセスとはいえないでしょ。しらけムードなのよ」。
とはいえ、市民から全く手の届かない遠いところでのボス交によって政党の党首が決められることの多い日本に比べれば、党結成のプロセスが、女性を含む市民に開かれた形で進むのは、私には新鮮だった。
「女が一番!」のポスターに近づいてみると、小さな文字でこう書かれていた。
「世界を変えるためには、そこに参加しなければならない――ティーナ・アンセルミ」。
ティーナ・アンセルミはベネト州生まれ。17歳のとき、パルチザンの友人たちがファシストに吊るし首にされたのを見て、パルチザンに身を投じ、ナチスやファシストと戦った女性だ。戦後、キリスト教民主党から国会議員に当選し、女性としては初めての大臣に。議会では、男女平等のための法の制定に命を賭けた。現在86歳。
2013年10月10日
コメント
コメントを投稿